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強制動員被害者のヤン・ヨンスさん死去…謝罪と賠償ついに受け取れず

登録:2023-05-12 02:56 修正:2023-05-12 08:57
三菱重工に一審と二審で勝訴も、三菱重工が上告
日帝強制動員の被害者の故ヤン・ヨンスさん=日帝強制動員市民の会提供//ハンギョレ新聞社

 日本の戦争犯罪企業を相手取って損害賠償訴訟を起こし、一審と二審で勝訴した強制動員被害者ヤン・ヨンスさんが、ついに謝罪と賠償を受けられないまま亡くなった。享年94。

 日帝強制動員市民の会は、三菱重工業を相手取った第2次損害賠償訴訟の原告のヤンさんが、11日午後に持病のため入院先の病院で死去したと発表した。

 1929年に光州(クァンジュ)で生まれたヤンさんは、1944年3月に光州大成初等学校を卒業後、同年5月に「勉強もできて金も稼げる」と日本人担任教師にだまされ、三菱重工名古屋航空機製作所に動員された。ヤンさんは「当時、兄は徴用で連れて行かれており、父はいつも日本の巡査に追われていて家庭の事情も良くなかったため、少しでも家の役に立つために日本行きを決心した」、「後になって母親が知って止めたが、すでにこっそり抜けるには遅い状況だった」と回想している。

 ヤンさんは日本で1日に8時間、飛行機の付属品を塗装する重労働をさせられた。ヤンさんは「冬になるとあまりに寒くて、手が裂けるほど痛くて飛び跳ねるほどだった。洗濯もまともにできなかった」と振り返っている。ヤンさんはまた「入浴させてくれるのは月に1度。日本人が先に入り、その後にようやく私たちが入れた」、「でも200人以上に一度に入れと言うものだから、お湯に近づくこともできなかった。1着だけの作業服も洗えないので、数カ月着たままだった」と証言している。

 ヤンさんは解放後、賃金もきちんと受け取れないまま帰国した。日本軍慰安婦と勤労挺身隊が区別できていなかった当時の社会的視線のせいで、またしても苦しまなければならなかった。

 ヤンさんはキム・ジェリムさん、故オ・ギレさんの遺族、故シム・ソネさんの遺族らと共に、2014年2月27日に三菱重工を相手取って第2次訴訟を起こした。2017年8月の一審に続き、2018年12月に二審でも勝訴したが、三菱重工側が上告したため最高裁の判断を待っていた。

 だが、最高裁の判断の遅れ、韓国政府による「第三者弁済案」推進を受け、ヤンさんら4人の原告は今年3月、裁判所に三菱重工の韓国国内の特許権に対する差し押さえ命令を申立て、これが認められ後続の法的措置を準備していた。

 遺族には娘のキム・ジョンオクさんがいる。葬儀は大邱(テグ)キリスト病院斎場。出棺は13日午前8時。遺体は大邱冥福公園に埋葬される。

キム・ヨンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/1091414.html韓国語原文入力:2023-05-11 16:56
訳D.K

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