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韓米訓練復元…北朝鮮の反発には対策なし
尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領のこうした認識は、以前にも何度かあらわになったことがあります。
「国民の力」の大統領候補時代の2021年12月29日、慶尚北道党選挙対策委員会の発足式では「左翼革命理念、そして北朝鮮の主体思想理論、こういったことを学んで民主化運動の隊列に加わり、まるで民主化闘士であるかのようにこれまで仲間うちで助け合いながら生きてきた諸集団が、今回の文在寅(ムン・ジェイン)政権が発足してからは国と国民を略奪している」と述べています。
昨年10月19日に国民の力の院外党協委員長たちと会った際には、「従北主体思想派は進歩でも左派でもない。敵対的反国家勢力とは協治は不可能だ」と述べています。
このような考え方は、かつて独裁政権に立ち向かって民主化運動をした人々に従北とのレッテルを貼る分断既得権勢力の論理とまったく同じです。極右理念集団である太極旗部隊の主張そのままです。
尹大統領がこうした極右理念を持つようになったのはいつからでしょうか。体制を防衛する集団である検察に長く勤務していたために形成されたのでしょうか。それとも、保守政党である国民の力への入党後に生じたのでしょうか。いずれにしろ、大韓民国の大統領が極右系の理念に埋没しすぎているというのは、韓国国民にとって非常に不幸なことです。
尹大統領は、政治家となった初期には南北関係についてあまり語りませんでした。よく知らない分野だったので慎重な態度を取るしかなかったのでしょう。
2021年6月29日の大統領選出馬宣言では、まったく南北関係に言及しませんでした。その年の11月3日の国民の力の大統領候補受諾演説では、「国際社会との徹底した協力を通じて非核化をより効率的に進める」と述べる程度にとどまっています。
2022年3月10日の当選直後の演説では、「北朝鮮の不法で不合理な行動に対しては原則に則って断固として対処するが、南北対話の扉はいつでも開いておく」と述べています。5月10日の就任演説では、「北朝鮮が核開発を中止し、実質的な非核化へと転ずるなら、国際社会と協力して北朝鮮経済や北朝鮮住民の暮らしを画期的に改善しうる大胆な計画を準備する」と述べています。
8月15日の光復節の祝辞では、北朝鮮の鉱物・レアアースなどの地下資源と食料・生活必需品の供給を連係させる食糧供給支援▽発電・送配電インフラ支援▽国際交易のための港湾と空港の現代化プロジェクト▽農業生産性向上のための技術支援▽病院、医療インフラ現代化支援▽国際投資と金融支援の6つを提案しました。
これらの提案は、実際には実現可能性があまりない空虚なものでした。港湾と空港の現代化は強調しながら、南北連結鉄道の運行再開は口にしていません。開城(ケソン)工業団地と金剛山(クムガンサン)観光事業についても一言もありませんでした。
尹大統領は大統領選挙の際、「文在寅政権時代に大幅に縮小された韓米合同軍事演習を復元する」と公約しました。軍事訓練を強化するとすれば、北朝鮮の反発は予想されたものです。しかし、対策は何もありませんでした。実際に韓国と米国は軍事演習を復元し、北朝鮮はミサイル発射や核兵器による威嚇で反発しました。尹大統領はより強硬な姿勢で立ち向かっています。強対強の悪循環の泥沼にはまっているのです。
対決フレームを選択、日本との関係改善に没頭
こうなった原因は様々あるでしょう。私は、朝鮮半島と周辺情勢についての尹錫悦大統領の哲学と戦略の不在が大きく一役買っていると思います。
米国と日本、そして韓国には、朝鮮半島分断体制に寄生して金銭的利益を得ようとする軍産複合体、極右勢力などが存在します。彼らは朝鮮半島を韓米日の海洋勢力と中朝ロの大陸勢力の対決の場として設定し、「海洋勢力は大陸勢力に勝たなければならない」と扇動します。
尹大統領の過ちは、これら分断既得権勢力の対決フレームにたやすく便乗しすぎていることです。今年に入って日本との関係改善を急いでいるのも、そうした流れの一環でしょう。
そうなれば、朝鮮半島の主人である私たちは朝鮮半島情勢の主導権を失い、周辺国に振り回されることになります。大変なことです。
尹大統領の選択は、歴代の韓国大統領の朝鮮半島情勢認識や行動とも大きな違いあります。
北朝鮮は1968年に朴正熙(パク・チョンヒ)大統領を殺害するために31人の特殊部隊員を送り込んできました。にもかかわらず朴正熙大統領は北朝鮮と対話し、1972年に7・4南北共同声明を採択しました。
1983年には北朝鮮によってビルマ(現ミャンマー)でラングーン事件が引き起こされましたが、全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領は1984年に北朝鮮の水害復興支援提案を受け入れ、南北関係改善のきっかけとしました。南北間で赤十字会談、経済会談、体育会談が行われました。1985年には南北離散家族相互訪問が実現しました。南北首脳会談の実現に向けて密使が行き来してもいます。
盧泰愚(ノ・テウ)大統領の北方外交、南北基本合意書採択、国連同時加盟、朝鮮半島非核化共同宣言などはよく知られている事実ですので、これ以上は説明しません。
金泳三(キム・ヨンサム)大統領は1994年に金日成(キム・イルソン)主席との南北首脳会談開催に合意しました。金日成主席が突如死亡したために立ち消えとなりましたが、もしあの時に首脳会談が実現していたなら、朝鮮半島の平和は早まり、北朝鮮は核開発をしていなかった可能性もあったでしょう。
李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)両大統領の時代、南北関係は冷え込みました。米国によるバンコ・デルタ・アジアの北朝鮮口座の凍結、金剛山観光客射殺事件、北朝鮮による核実験やミサイル発射、開城工業団地の稼動停止など、様々な悪材料があったからでした。尹大統領の就任後、南北関係は李明博、朴槿恵両大統領の時代よりも悪化しつつあるようです。心配です。
キム・ソンハン国家安保室長が3月29日に突如更迭されました。交代の背景には何があるのか、正確には分かっていません。尹大統領は外交・安保の中核参謀の交代を簡単に考えすぎなのではないでしょうか。もしかして何も考えていないのではないでしょうか。本当に心配です。みなさんはどう思われますか。