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法頂(ポプチョン)僧侶‘無所有’さえも‘所有’せず

原文入力:2010-03-12午前03:25:46(1549字)
涅槃した法頂僧侶 "私のすべての本 これ以上出版するな"
"一切の葬儀するな" 遺言

チョ・ヒョン記者

←法頂僧侶とキム・スファン枢機卿=仏教界の元老,法頂僧侶が11日入寂した。写真は1997年12月吉祥寺開寺法会を訪ねたキム・スファン枢機卿と挨拶を交わす姿。法頂僧侶はこれに対する返礼で翌年に明洞聖堂で特別講演をした。(連合ニュース)

散文集<無所有>の作家として良く知られた法頂僧侶が11日午後1時52分頃、ソウル,城北洞の吉祥寺で入寂した。仏門に入り55年. 享年78才。

去る2007年10月、肺癌の診断を受け済州道,西帰浦などで療養してきて最近、三星ソウル病院に移り治療を受けてきた仏門僧侶はこの日涅槃直前吉相社に移された。

韓国仏教で大衆的に最も広く知られた法頂僧侶は1932年全南,海南で生まれ、木浦商高を経て全南大商科大に通い、1956年当代高僧の曉峰(ヒョボン)僧侶を恩師として比丘となり、<仏教新聞>編集局長,松広寺修練院長,普照思想研究院長などを務めた後、1970年代以後 曹渓山,松広寺裏山に仏日庵を直接建てて一人で暮らした。

法頂僧侶は仏教界の現実参加が皆無も同然だった‘民草の声’編集委員として民の声が大きな社会的反響を起こすよう活気を吹き込まれ、1970年代に張俊河,咸錫憲らと共に仏教界を代表し民主化運動に出ることもした。また昨年亡くなったキム・スファン枢機卿とも深い交友があった。1994年からは純粋市民運動団体‘清く香しく’を作り、心と暮らしを澄ませる運動を繰り広げ、孤独な修行生活をしてきた。1997年にはソウル,城北洞に吉祥寺を創建し、2005年江原道の山奥小屋に下り無所有の生活を送り時折、吉祥寺で法問をしてきた。

法頂僧侶は入寂する前夜 「すべての方々に深く感謝申し上げる。私が現世で犯した過ちは生死を越えて懺悔するだろう。私の物という物が残っているならば全て清く香しい社会を具現する活動に使って欲しい。もう時間と空間を捨てなければならない」と話したという。また「法頂僧侶は枕元に残っていた本を著書で約束した通り僧侶に新聞を配達した人に渡すことを上座僧に頼んだ。

合わせて法頂僧侶は 「この間にした話を次の生へ持っては行かない。私の名前で出版したすべての出版物をこれ以上出版しないでくれるよう丁寧にお願いする」という話を残した。法頂僧侶は清く美しい筆致の散文である<無所有> <小屋の手紙> <鳥が去った森は物寂しい> <山房一談> <空っぽの充満> <美しい仕上げ> <一期一会> <ひとりは皆を,皆はひとりを>などの著作を残した。

法頂僧侶は日ごろから、わずらわしく,つまらず,多くの人に苦労だけかける一切の葬儀儀式を行わず、棺と死に装束を別に用意することもやめ、便利で隣人の邪魔にならない所で遅滞なく普段の僧服を着た状態で荼毘に付し、舎利を探そうとせず塔も建てるなと上座僧たちに頼んだ。
これに伴い曹渓宗と松広寺,吉祥寺などはこういう遺志を敬い、別途の公式的な葬儀委員会を構成しないことにし、茶毘式以外は一切の葬儀儀式を行わないことにした。

また弔花や香典も受け付けないことにし、弔問客のために吉祥寺と松広寺,僧侶が17年間留まった松広寺仏日庵など3ヶ所に簡素な焼香所だけを用意した。茶毘式は13日午前11時、全南,順天,松広寺だ。

チョ・ヒョン宗教専門記者 cho@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/obituary/409486.html 訳J.S