イ・セヨンの問い 尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領と与党指導部および公共機関の長たちは近ごろ、「金日成(キム・イルソン)主義者」、「従北主思派(北朝鮮に追従する主体思想派)」、「銃殺に値する」などの極端な発言を続けている。右翼団体は独裁時代のレッテル貼りを再び持ち出し、異なる見解を持つ人々を敵とみなしている。このような過激主義イデオロギーと行動の特徴はどのようなものか。それはどのような方法で民主主義と個人の自由を破壊するのか。過激主義は実際にどれほど危険なのか。
シン・ジヌクの返答 朴槿恵(パク・クネ)元大統領の弾劾を求めるろうそく集会の真っ最中にあった2016年冬以降の数年間、ソウルの光化門(クァンファムン)広場一帯では「太極旗部隊」と呼ばれる大規模な群衆が週末になると集会をしていた。すべての参加者の手に、服に、リュックサックに太極旗があり、少なくない人々が軍服やサングラスを着用していた。トラックの大型スピーカーからは軍歌、賛美歌、「美しい山河」という曲が耳をつんざく大音量で流されていた。
このような集会では「左派」、「従北」、「アカ」を「処断」、「撲滅」し、さらに「銃殺」、「絞首刑」に処すべきだというぞっとする言葉がポスター、プラカード、そして参加者の「自由発言」というかたちで平気で飛び出してくる。しかも、私たちはインターネットのポータルやマスコミ報道へのコメント、オンライン・コミュニティでこのように特定の個人や集団を憎悪し、絶滅させたいという発言や主張に頻繁に接する。
「極右」はこのように大韓民国の日常になっている。彼らの行動の極端さのせいで、彼らは異常で例外的な人のように見えるが、最近の研究によると右翼集会の参加者の年齢、学歴、職業、所得水準は多様だ。だが彼らは「従北左派撲滅」、「自由大韓守護」、「同性愛は悪魔」を叫ぶ。このような平凡な市民の過激主義、または過激主義市民の偏在こそが本当に恐ろしいのだ。
しかも尹錫悦政権が発足したことで、極右の政治環境に質的変化が生じた。政府与党と公共機関の代表者が反対者を「従北主思派」、「金日成主義者」、「銃殺に値する」のようなイデオロギー的レッテル貼りと極端な発言による攻撃を公然と行う中で、社会の極右勢力は事実上、政府の公式の認定の下で大手を振って歩けるようになった。現状の潜在的リスクを重く受け止めるべきだ。
愛国、自由、民主を標榜しつつ憎悪を拡散
20世紀前半のファシズムやナチズム勢力は根本的に民主主義と多元主義を否定し、転覆させようとした。1970~1980年代に至るまで極右は人種主義、全体主義、独裁と暴力を堂々と称賛していた。しかし21世紀の極右は民主主義、選挙、複数政党制と共存し、愛国と自由、福祉国家を標榜する。「極右」、「過激右派」、「右翼ポピュリズム」の境界線がぼやけていくにつれ、彼らの大衆性と得票率も高まっている。
このような最近の変化によって極右の勢力、言説、イデオロギーの拡散は漸進的、長期的、不可視的な特性を持つようになった。欧州議会の議長を務めたマルティン・シュルツが警告したように、今の「極右」の真の危険性は、韓国社会において「許されないこと」の限界が少しずつ崩れ、「想像できなかったこと」が徐々に自然と受け入れられるという、タブーの腐食過程にある。「反人倫的イルベ(韓国のネット右翼が集まるウェブサイト。転じてネット右翼)」が「普通のイルベ」になるのだ。
欧州と米国では2000年代以降、保守政党内で極右が拡大するとともに、極右諸政党の中心部への進出が進んだ。彼らは自由と民主主義、福祉国家と法治を尊重する態度を取る。その中で「黒人」、「アジア人」、「外国人」、「難民」、「同性愛者」、「イスラム」などの特定のカテゴリーに公共の敵というレッテルを貼り、大衆的不安と憎悪を栄養分にして組織を拡大し、票を得る。
オーストリア自由党、フランスの国民戦線、ベルギーのフラームスの利益、オランダの自由党、スウェーデン民主党、ドイツのための選択肢、「西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者」などのように、2000年代以降に成長した極右政党と大衆運動諸団体は、反人倫的過激主義と正常な意見表明の間の曖昧な灰色地帯で動きつつ、政治と社会を右傾化させた。
主流極右と辺境主流の密月
極言と暴力をこととする行動主義者は、しばしば社会の中心部の既得権勢力の偽善的黙認、暗示的支持、または秘密の交流から力を得る。すなわち、政治的、社会的中心部と周辺部極右はつながっている。両者のつながりのあり方は様々だ。中心部極右が周辺部極右を支援することもあり、周辺部極右が中心部へと拡大することもあり、中心部から極右化して周辺部を活性化することもある。
国によっても様々なあり方がある。欧州では中心部の保守政党が極右勢力と距離を取っていることが多いため、それに不満を持つ有権者を足がかりとして新生極右政党が勢力を得たケースもある。それとは異なり二大政党制かつ大統領制をとる米国では、ドナルド・トランプという右翼ポピュリストが既成の政党政治の制度的規則と慣行を破壊しつつ社会内部の極右主義を動員して増幅し、そのエネルギーを自らに集中させた。
韓国の特徴は、主流保守政党が元から極右的性格を内包しており、それが続いてきたということだ。プロテスタントや反共団体を基盤として極右政党がしばしば設立されてきたにもかかわらず成功できなかったのは、「保守」を掲げた巨大政党が極右系の有権者の欲求を満たしてくれるからだ。このように韓国では「保守」と「極右」の境界が曖昧だが、それは「保守」政権の極右化の潜在性が高いことも意味する。
地政学的緊張が招いた不安と怒り
極右主義の力は、国際環境と地政学的緊張に大きな影響を受ける。20世紀前半の欧州でのファシズムとナチズムの台頭は、ロシア革命が触発した恐怖を除いては説明できない。今日でも欧州や米国の極右は移民者や難民の問題を膨らませることで支持層を拡大するが、これもやはり「外部」要素が入ってきて「内部」を脅かすというフレームによって不安と怒りを動員するものだ。日本の極右組織「在特会」や「日本会議」も北東アジアにおける覇権競争と対立構造を重要な背景としている。
そのような観点からみると、韓国における極右勢力とそのイデオロギーの持続的な力を説明する決定的要因は冷戦体制の遺産、分断体制の持続、北東アジア秩序の不安定さだ。この地域の軍事的、外交的緊張が高まり、国と国との衝突が可能性のあるシナリオとして動員されうるなら、各国の国内で多様性と自由ではなく秩序と規律、理念的統一性を強調する極右的主張が強まりうる。
特に韓国は分断体制構造の中で政府が樹立されただけに反北朝鮮、反共右翼の根が深く、その遺産が今も強く残っている。金大中(キム・デジュン)政権の太陽政策に対する保守の批判でも、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の私立学校法改正の試みに対するプロテスタントの反発でも、文在寅(ムン・ジェイン)政権の公共医大設立計画に対する医師団体のストライキでも「共産主義」、「従北左派」という極端なイデオロギー的色彩が強烈に噴出した。
伝統極右に根があり、少数者嫌悪へと拡大
極右の議題、イデオロギー、主体、組織は、時代環境の変化に対応しつつ躍動的に変わることもある。西欧の極右は、冷戦時代には反共、反ソ、反左派、反労組闘争を中心課題としたが、1990年代からは移住者、難民、同性愛、イスラム、多文化などが最も火の付きやすい問題となり、これに相応するイデオロギーと極右政党の政治戦略が発達した。
韓国でも2000年代以降、移住労働者、同性愛、フェミニストなどに対する嫌悪行動と言説が大きく広がった。新たな極右主義は伝統的な反北朝鮮、反左派、反労働者イデオロギーに代わるものではなく、そこに接合され拡張される。フェミニストと階級論者の「交差性の政治」はなかなか進展しないのに対し、右翼はオールドライトとニューライトの様々な流れが緊密に連帯してきた。
このような連帯ネットワークとフレームの接合において最も中心的な役割を果たすのが、プロテスタント右派だ。国内の米国人宣教師たちと米国本土の右派勢力の影響で、韓国プロテスタントはもともと保守傾向が強かったが、特に盧武鉉政権時代に極右傾向と政治的行動主義が強まった。プロテスタント右派は組織、財政、信者、独自のメディアや学校、政界との連携など、さまざまな面で強力な資源を持っている。
過激主義は単に左右のスペクトラムの端に存在する非正常な少数を意味するものではない。人権、自由、尊厳、平等、平和のような現代の根本価値はすべての人間に同等に保障されるべき、という普遍主義を受け入れないあらゆる者が過激主義者だ。そのような過激主義が韓国社会に広がらないようにするために最も重要なのは、彼らに同意しない多数が明確な意志を示すことだ。