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韓国のパン工場で死亡事故「パン屋が夢…2人1組だったら機械を止められたのに」

登録:2022-10-18 02:52 修正:2022-10-18 07:50
SPC系列のパン生地工場で20代の労働者が死亡 
高校で製パン専攻、卒業後パリバゲットに就職 
遺族「少女家長」世論に難色…「平凡な20代」
今月15日、20代の労働者Aさん(23)がSPC系列のパン生地工場で作業中に機械に挟まれて死亡した。17日、Aさんの葬儀が多くの花輪で飾られている=チャン・ヒョヌン記者//ハンギョレ新聞社

 まだ幼さの残る遺影の前には飲み物の缶がひとつとカラフルなゼリーがいくつか置いてある。重い白黒の葬儀において唯一色が感じられるものだ。今月15日にSPC系列のパン生地工場で事故にあい死亡したAさん(23)と交際していたBさん(25)が買ってきたものだ。「生前、好きだったものです」

 17日午前に訪ねた葬儀場は閑散としていた。Aさんの母親と親戚、恋人のBさんら数人がその場を守っていた。

 「週52時間勤務のため、週に1日は早く退勤しなければならないのですが、あの日(事故当日)は私が先に退勤したんです。本来なら朝8時に一緒に退勤していたはずなのに…」。Bさんと死亡したAさんは同じ工場の同僚だった。事故が発生した日も前日午後8時から「12時間の2交代」の夜間勤務を共にしていた。

 いつもなら一緒に退勤していたはずだった。だが15日午前5時、Bさんは勤務時間管理を理由に早く工場を出た。Aさんは勤務開始から10時間たっていた午前6時20分ごろ、サンドイッチソースを配合する機械に体が挟まれる事故にあった。

 「隣にせめてあと1人いたら、せめて非常警報ボタンが押せていたら、それを押せなかったから(機械が)止まらなかったわけですから」。Bさんの「早い退勤」の前に短く交わしたあいさつが最後の言葉となってしまった。

 Bさんは、Aさんの夢は自分のパン屋を開くことだったと語った。「もともとパンを作るのが好きで、高校時代からその道を選んでいました。いつか自分のパン屋を開きたいと言っていました」

 亡くなったAさんは高校で製パンを専攻し、高校を卒業後はすぐにパリバゲットの店舗に製パン士として就職した。そして2年9カ月前、パリバゲットに材料を納品する生地工場「SPL」に職場が移った。

 工場で働きはじめてからは、初期を除いてほとんど夜間勤務組だったという。数十キロある袋を持ちあげる大変な仕事だったが、誰よりもまじめだった。しかし、頑張って学んで自分のパン屋を立ち上げるという夢は、パン生地工場の冷たい機械で打ち砕かれた。

 遺族や知人たちは、Aさんが「少女家長」ととらえられることに難色を示した。「おしゃれも好きで、頑張って稼いで家を買うからといって夜間勤務も頑張る平凡な20代でした」。家計を助けてはいたが、ひとりで生計を支えていたわけでも、家族を養うために夜間勤務を買って出たわけでもなかったという説明だ。

 別の遺族は「故人についての歪曲された話は、残された遺族にとってはさらに大きな傷となる」と語った。解剖は行わないことにした。入棺は17日に終えたが、出棺の日取りはまだ決まっていない。

 残された遺族たちは、まじめに働いていたAさんがなぜ事故にあわなければならなかったのか、今も分かっていない。Aさんが亡くなって2日。葬儀会場の前はイ・ジョンシク雇用労働部長官らの花輪で埋まっているが、誰も遺族の問いには答えられずにいる。

チャン・ヒョヌン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/labor/1063041.html韓国語原文入力:2022-10-17 17:19
訳D.K

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