原文入力:2010-02-23午後09:14:46(1621字)
‘市民参加ジャーナリズム’拡散成果
最近 収益性悪化で苦戦
"代案的収益モデル 探す"
クォン・クィスン記者
"きこりと仙女のように生きたかった".
2005年10月31日インターネット新聞<オーマイニュース>に載ったこの記事は‘市民の力’を見せてくれた。乳癌の手術費を工面できず韓国人の夫と子供たちを置いてフィリピンの故郷へ帰るしかなかったアメリアの便りを伝えた市民記者とインターネットユーザー読者たちは奇跡を創りだした。‘良い記事に原稿料拠出’で読者が集めた1700万ウォンは毎日死を待っていたアメリアを救出したのだ。
"すべての市民が記者だ。"
市民参加ジャーナリズムを旗じるしにスタートしたオーマイニュースが、去る22日で10周年をむかえた。‘開かれた進歩’を標ぼうしたオーマイニュースは翌年に創刊された<プレシアン>と共に、韓国インターネット言論をリードした。ニュース消費者を直接生産者として参加させるという‘発想の転換’は大きな呼応を得た。727人から始まった市民記者は10年間に85倍以上増え、現在6万2000人余に達する。4人から出発した職員は70人(常勤記者40人)に増えた。創刊9ヶ月ぶりに時事週刊誌<時事ジャーナル>選定‘媒体影響力’ 10位に上がりもした。
"きこりと仙女…" の記事で去る10年間オーマイニュース記事42万8000ヶ余りの内、最多原稿料を受け取ったキム・ヘウォン記者は40代半ばの‘平凡なおばさん’だった。彼女は「私が書いた記事一つで乳母車の通行を阻んでいた歩道ののボラード(石柱)が除去され、いざこざの多かった学校の母親会が消え、難病患友と独居老人に対する社会的関心が生まれた」と語った。
2002年の大統領選挙はオーマイニュース成長の起爆剤となった。その年3月、国民的関心事であった民主党大統領候補選挙戦をオンラインで生中継し、多くのインターネットユーザーの耳目を惹きつけた。当選者時期の盧武鉉前大統領が単独インタビュー媒体として選択したのがまさにオーマイニュースだった。
盧前大統領の既成言論牽制政策は光と陰を同時に持たらした。2000年代中盤以後に形成されたインターネット言論の春秋戦国時代はオーマイニュースだけの差別性を弱化させた。広告に70%を依存する収益構造もやはり李明博政府になり‘中央政府広告 0’の状況を迎え深刻な挑戦を受けている。2006年から4年間に28億5000万ウォンの累積赤字を出した。
オ・ヨンホ代表は「初期には(オンラインで)影響力をオーマイニュースが独占したとすれば、今は他の媒体と共有している」とし「粗野で無謀に見えたことが常識と文化になり、それが言論界だけでなく政治社会全般の参加民主主義に拡張された」と評価した。オ代表は「第1期の去る10年が‘オーマイらしいニュース参加とニュース流通の革新’だとすれば、第2期は代案的収益モデルを用意すること」と明らかにした。このために月1万ウォンずつ払う有料会員制の‘10万人クラブ’構築に入り、6ヶ月で7000人余りを集めた。
ユン・テジン延世大コミュニケーション大学院教授は「オーマイニュースは外国論文でしばしば言及される程、世界的に市民参加ジャーナリズムの新しいモデルを提示した」と話した。イ・ヨンジュ ネミル社会文化研究所責任研究委員は 「オーマイニュースがジャーナリズムの幅と行為者の幅を広げた点は肯定評価するが、市民ジャーナリズムを越えイシュー追跡を強化しなければならない」と注文した。
クォン・クィスン記者 gskwon@hani.co.kr
原文: 訳J.S