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朴正煕・全斗煥の軍部独裁の実状を伝えた池明観氏が死去

登録:2022-01-03 11:07 修正:2022-01-04 11:56
主幹を務めた「思想界」廃刊後、渡日 
1973年から15年間、雑誌「世界」に寄稿 
独裁政権下での人権弾圧、民主化運動、光州虐殺などを知らせ 
金大中政権時代には「韓国放送」理事長に
池明観・元翰林大学教授//ハンギョレ新聞社

 朴正煕(パク・チョンヒ)、全斗煥(チョン・ドゥファン)の軍事独裁時代である1970~80年代、日本で「T・K生」というペンネームで韓国の人権弾圧と民主化闘争の状況を世界に知らせた池明観(チ・ミョングァン)元翰林大学碩座教授が、1日午前7時55分、持病で死去した。享年98。

 1924年、平安北道定州(チョンジュ)で生まれた故人は、金日成大学第1期入学生であり、1947年に南へ渡り、ソウル大学宗教学科卒業後、同大学院の博士課程(宗教哲学専攻)を修了した。朝鮮戦争の時、4年間通訳将校として服務し、陸軍中尉として除隊。1960年代初頭には徳成女子高等学校の校長を務めた。

 1960年の4・19革命をきっかけに社会問題に関心を持つようになった故人は、1964年から3年間、チャン・ジュンハ氏が創刊した雑誌「思想界」の主幹を務めた。朴正煕政権に批判的だった「思想界」は1970年5月、政権によって強制廃刊に追い込まれ、社長や編集者も拘束されるという弾圧を受けた。それから2年後、朴正煕が維新クーデターを起こした1972年に徳成女子大学教授に在職していた故人は、東京大学の交換教授の招聘を受けて渡日した。

 当初は1年の予定だった故人の日本生活は、1993年まで20年以上続いた。日本を拠点に韓国の民主化運動を支援しようという、アジアキリスト教協議会のオ・ジェシク都市産業宣教部長(当時)の積極的な勧めに応じたのだ。

池明観・元翰林大学碩座教授は2003年、「世界」に掲載された『韓国からの通信』の著者「T・K生」が自分であることを明らかにした/聯合ニュース

 故人は東京女子大学の客員教授だった1973年から1988年まで、日本の進歩性向の月刊誌「世界」に「T・K生」というペンネームで、コラム「韓国からの通信」を15年間連載し、独裁に苦しむ故国の状況を世界に知らせた。韓国キリスト教教会協議会の関係者が「韓国資料」を密かに送り、故人が文章を書き、「世界」の安江良介編集長や秘書が筆写した後、原稿を燃やすという方式だった。

 故人が光州(クァンジュ)民主化運動から3カ月後の1980年8月に「世界」に発表した文は、5・18光州の残酷な市民虐殺の実情を一つ一つ伝え、注目を集めた。朴正煕政権が、維新独裁に抵抗し1975年4月に切腹自殺したソウル大学農学部生のキム・サンジン氏の追悼式までも妨げ、強制的に火葬した事実も、「世界」の読者たちは故人の文章を通じて知ることができた。

 故人のソウル大学宗教学科の後輩であるオ・ジェシク博士は2013年、本紙の「道を探して」という連載で、「韓国からの通信」は1973年に安江編集長の勧めで始まり、これに先立ち故人と安江氏の出会いを取り持ったのは当時「朝鮮日報」主幹のソヌ・フィ氏だったと述べている。故人がこのコラムを書いたという事実は徹底的に秘密にされ、2003年に「世界」の紙面を通じて公式に明らかになった。

 1993年に帰国した故人は、金大中(キム・デジュン)政権時代の1999年、韓日文化交流の目的で発足した韓日文化交流会議の委員長や「韓国放送」理事長(2000~2003)を務め、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領就任辞の準備委員長も務めた。

 『韓国現代史と教会史』(1975)、『韓国と韓国人』(2004)、『韓日関係史』(2004)、『境界線を超える旅』(2006)などの著書がある。2006年には日本で執筆されたコラムを中心に1970~80年代の韓国民主化運動の意義を指摘した本『韓国からの通信』を出版した。

 遺族は、夫人のカン・ジョンスク氏と子女のヒョンイン氏(慶応大学教授)、ヒョイン氏(アプライド・マテリアルズ役員)、ヨンイン氏(米ミネソタ大学教授)。葬儀場はソウル大学病院、出棺は4日午前7時。

カン・ソンマン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1025659.html韓国語原文入力:2022-01-03 02:02
訳C.M

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