原文入力:2010-01-27午後08:31:50(1274字)
太刀川正樹 再審で寃罪を晴らす… "それでも韓国は良い国"
ソン・ギョンファ記者,シン・ソヨン記者
←‘民青学連’の背後人物と仕立て上げられ懲役20年を宣告され再審を請求した日本<日刊ゲンダイ>記者の太刀川正樹が27日午前、ソウル,瑞草洞,ソウル中央地裁で無罪を宣告された後、目がしらを押さえている。 シン・ソヨン記者viator@hani.co.kr
日本人の友人たちは 「これから韓国製品は買わない、韓国の話もしてくれるな」 と言った。日本人記者が韓国の大学生に‘北韓の工作資金’を渡し‘北韓から武器が入ってくる’とか‘北韓放送を聴取しなければならない’として扇動したという罪目で懲役20年の刑を宣告された事件は、1974年当時、日本で大きな波紋を呼び起こした。
<日刊ゲンダイ>記者,太刀川正樹(65)の不幸は公安機関に追われる大学生に7500ウォンを渡したところから始まった。維新政権に抵抗する大学生たちを取材しに来た正樹は1974年4月旅館の部屋で、その後に全国民主青年学生総連盟(民青学連)事件で死刑宣告を受けることになるソウル大生ユ・インテ(前 国会議員)氏をインタビューした。「とても苦しい。ラーメンだけで暮らしている」 と話すユ氏に正樹は「プルコギでも買って食べなさい」として7500ウォンを渡した。このお金は後日の捜査過程で北韓の工作金に化け、正樹は北韓の指令を受けた外国人スパイという寃罪を被ることになった。異国の地で軍事法廷の傍聴席に座った父親と妻を彼は到底真っ直ぐに見ることができなかった。
正樹は10ヶ月ぶりに拘束執行停止で解放されたが周辺は荒廃していった。妻は衝撃で精神病を患い、アルツハイマーを病んでいた父親は亡くなる直前にも「無念だ」という言葉を繰り返した。妻が席を外した間に三才の息子は水に落ちて亡くなった。
36年余りが流れた2010年1月27日、ソウル中央地裁刑事合意22部(裁判長 イ・キュジン)は再審法廷に立った正樹に内乱扇動と反共法違反疑惑に無罪を、緊急措置違反疑惑には免訴を各々宣告した。裁判所は「‘日本に帰ろうとするなら疑惑を認めねばならず、裁判は形式的手続きに過ぎない’という検察の懐柔を受け自白するような陳述をしたという弁解が出鱈目とは見えない」と明らかにした。傍聴席では<朝日新聞>,<東京新聞>,<共同通信>,<TBS>の日本人記者らが先輩言論人の汚名が雪がれるのを見守った。
"韓国が容赦できるか" という記者の質問に彼はこう答えた。「36年間、悪い記憶もあったが、韓国人たちの民主化に対する信念は深く尊敬すべきものでした。韓国は良い国です。悪く言わないで下さい。」
ソン・ギョンファ記者 freehwa@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/401409.html 訳J.S