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「最後の亡命者」鄭敬謨、半世紀にわたる苦行を終える

登録:2021-02-17 11:12 修正:2021-02-18 07:54
在日評論家の鄭敬謨氏死去 
横浜の自宅で老衰のため 
 
1970年、朴正煕軍事政権から逃れ 
1989年「文益煥・金日成主席会談」に同席 
民主化以降も「自首書」求められると 
「転向・裏切りできない」署名拒否し続け 
昨年帰国を推進したが、コロナのため叶わず
今年1月初め、横浜市日吉の自宅で新年を迎えお酒を飲んでいる故鄭敬謨氏=家族提供//ハンギョレ新聞社

 「私が行けないわけじゃない、行かないのだ」

 朝鮮半島分断史の悲劇を象徴する「最後の亡命者」が半世紀以上も帰国できないまま異国の地で永眠した。在日の統一運動家であり言論家の鄭敬謨(チョン・ギョンモ)氏が16日、横浜の自宅で死去した。享年97歳。

 故人の長男の鄭剛憲(チョン・ガンホン)さんは同日この日、「父が昨年秋から肺炎で入退院を繰り返し、今日未明に日吉の家で死去した」と伝えた。1970年に日本に渡った鄭氏は、朴正煕独裁を批判する言論活動を広げ「政治的亡命」を選んだ。1989年に平壌(ピョンヤン)を訪問し、故文益煥(ムン・イクファン)牧師と共に金日成(キム・イルソン)主席の「4・2共同宣言」を引き出した鄭氏は、民主化以降も「国家保安法起訴中止」の壁にぶつかり、51年が過ぎても帰国できなかった。

 「順法誓約書よりもっとひどいのが自首書だ。スパイだったから自首しろってことじゃないか。私が何の過ちを犯したからといってスパイだと自認しろというのか。あの頃、文牧師がソウルに戻った時にどれほど苦役を受けたか改めて実感した。腹が立ったが、自ら怒りを抑えた。あの時言われた通りに判子を押していたらパスポートはもらえたかもしれないが、自分で自らの存在を否定し文牧師を辱め、民主化勢力全体を裏切ることはできなかった。それで終わりだった」

 2009年にハンギョレの「道を探して」で回顧録を直接執筆し、大きな反響を呼んだ故人は、2003年に韓国の情報機関が要求した「自首書」の署名を拒否したエピソードを公開し「日本の地に骨を埋まる」という決意を見せた。

 特に「ろうそく革命」で発足した新政権が2018年の「4・27南北首脳会談」に続き、朝米首脳会談まで実現させたときは「死ぬ前に70年間の朝鮮戦争が終わる瞬間が見られるようだ」と感激していた。しかし、文在寅(ムン・ジェイン)政権の情報機関でも依然として法的手続きの解消を前提に掲げて足を引っ張ると「私が望んで金もなく出世もしなかったし、私が行かないことにしたのだから悔いはない」とし、“妥協”を拒否した。

 しかし、昨年初めにがん発病などで故人の老衰が進むと、家族や知人などを通じて法的手続きの受け入れ意思を伝えてきた。しかし今回は、新型コロナウイルスの大流行のために推進議論が先延ばしになった。ついに彼は「最後の亡命者」として残った。

1989年3月27日、平壌を訪問した鄭敬模氏が文益煥牧師と共に、北朝鮮の金日成主席と初の挨拶を交わしている=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 1924年、ソウルで敬虔なキリスト教の家の長男として生まれた故人は、慶応大学医学部に留学し、解放直前に帰国した。李承晩(イ・スンマン)政権初の国費奨学生として、米エモリー大学に留学中に朝鮮戦争が起こると、東京のマッカーサー司令部に召喚された。文益煥、パク・ヒョンギュ牧師などと共に通訳官として服務し、1951年の板門店休戦会談に陪席し「38度線」で朝鮮半島が分かたれる現場を目撃した。故人は「あの時痛感した悲哀と米国に対する怒りが、『朝鮮半島統一』という民族的課題を自ら背負い、『時代の不寝番』として生きるようにさせた」と吐露した。

 1972年、『ある韓国人のこころー朝鮮統一の夜明けに』(朝日新聞社)を皮切りに日本で著述活動をしてきた彼は、1980年代、海賊版として先に出た『断ち裂かれた山河』で韓国国内に名を知らしめた。ブルース・カミングスの『朝鮮戦争の起源』(第1巻)を日本語に翻訳している。1981年頃から日本語雑誌『シアレヒム(粒の力)』を独自発行し、言論活動を続けた鄭氏は、韓国で発行した『日本の本質を問う』『今度はアメリカが答える番だ』などの著書を通じて、私たちが知らなかったり間違っていた韓国現代史の真実を明らかにしてきた。

 2010年に「道を探して」の連載を集めた『時代の不寝番』(ハンギョレ出版社)に続き、2011年には日本語翻訳版『歴史の不寝番(ねずのばん) ー「亡命」韓国人の回想録』(藤原書店)が出版された。全10巻の(ファン・ソギョン)の大河小説『張吉山』日本語訳の出版と、生涯最後の宿題として執筆してきた『韓日古代史の秘密』は未完の遺作となった。

 遺族は慶応大学時代に下宿先の娘で縁があった同い年の日本人のである妻の中村千代子さんと息子の剛憲さん、雅英さん(立命館大学教授)。葬儀は家族葬として日本で行う予定だ。

キム・ギョンエ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/obituary/983219.html韓国語原文入力:2021-02-17 02:32
訳C.M

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