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抗日独立運動家パク・チェヒョク義士記念式、28日に開催

登録:2020-10-21 04:10 修正:2020-10-21 10:21
釜山警察署爆弾投擲義挙100周年記念式
釜山出身の独立運動家、パク・チェヒョク義士=資料写真//ハンギョレ新聞社

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡散によって延期されていた朴載赫(パク・チェヒョク)義士の釜山(プサン)警察署爆弾投てき義挙100周年記念式が、28日に開催される。

 パク・チェヒョク義士記念事業会は20日、「28日午前10時、釜山商工会議所2階の国際会議場で、釜山の独立運動家であるパク義士の釜山警察署爆弾投てき義挙100周年記念式を開催する」と発表した。当初、記念式は先月14日に開かれる予定だったが、新型コロナの拡散が収まらず、延期されていた。

 南区大淵洞(ナムグ・テヨンドン)のアモスアートホールでは、29日夜7時30分に学生・市民招待音楽会「パク・チェヒョクを歌う」が開かれる。釜山国際デザイン祭と連携した学生・青年デザイン体験展と、パク義士特別企画パネル展示も、記念式会場と音楽会場で行われる。

 パク義士は公立釜山商業学校を卒業後、地域で抗日運動を展開。1917年6月に中国の上海へと渡り、1920年4月に義烈団に加入した。パク義士は同年9月14日、釜山警察署で中国人の古書籍商になりすまし、当時釜山警察署長だった橋本秀平への面会を求めた。橋本はパク義士と面談し、パク義士はその場で独立運動家たちを捕らえた橋本の罪をとがめながら爆弾を投げた。橋本は死亡し、パク義士は重傷を負った。

 パク義士は現場で捕まり、大邱(テグ)刑務所に投獄され、1921年3月に死刑を言い渡された。パク義士は「日本の奴らの手で死刑になりたくない」としてハンストに入り、同年5月11日に拷問の後遺症などにより獄中で殉国した。

 パク義士の義挙後の1年間は、国内で日帝の警察署を襲撃する事件が相次いだ。政府は1962年、パク義士に建国勲章独立章を授けた。釜山中区(チュング)は昨年12月、パク義士の義挙を称える表示板を、旧釜山警察署(中区東光洞(トングァンドン))跡の隣の階段に立てている。

キム・ヨンドン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/yeongnam/966446.html韓国語原文入力:2020-10-20 14:13
訳D.K

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