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44年捜し求めた娘との劇的な「非接触再会」

登録:2020-10-19 02:33 修正:2020-10-19 07:58
南大門市場で娘が行方不明に 
遺伝子検査により米国で養子となっていた娘を捜し出す 
国外養子の家族探しで初の成果
15日、ソウル東大門区の警察庁失踪者家族支援センターで、ユン・サンエさん(47)が行方不明になった家族と44年ぶりにテレビ通話を通じて再開した=警察庁提供//ハンギョレ新聞社

 「サンエ、おまえに会えて願いがかなったよ。おまえに会えなかったら死んでも死にきれなかった」

 44年前に行方不明になった娘とモニター越しに向かい合ったイ・ウンスンさん(78)は、喉がつまってしばらく言葉を継ぐことができなかった。鼻と口を覆ったマスクも涙で濡れていた。「マスクを外しても大丈夫です」。同席した警察官の言葉に、ようやくイさんは注意深くマスクを下ろした。涙は流しているものの明るい笑顔だった。「会いたかったよ、ママ」。3歳だった1976年、ソウルの南大門(ナムデムン)市場で、握っていた祖母の手が離れ、その後、養子縁組で米国に渡ったユン・サンエさん(47、現地名デニス・マッカーティー)が慣れない母国語でたどたどしく返事した。

ユン・サンエさんが養子に出された後、幼い時に家族と撮った写真=警察庁提供//ハンギョレ新聞社

 ユンさんの家族は今月15日、ソウル東大門区(トンデムング)の警察庁失踪者家族支援センターでテレビ通話を通じて半世紀ぶりに再会した。米バーモント州に住むサンエさんが韓国に来られないため、再会は非対面で実現した。イさんは戸籍を見せながら、家族は失った娘を一瞬も諦めずに待っていたと話した。家族は44年のあいだ戸籍にサンエさんを残していた。サンエさんそっくりの双子の姉サンヒさん(47)も涙声で語りかけた。「私たちは決してあなたを捨てたわけではない。毎日あなたを捜していたんだよ」

 家族は、サンエさんが行方不明になってからというもの、サンエさんを捜し回っていたという。南大門警察署に失踪届けを出し、通行禁止時間ギリギリまでチラシを貼って回ったものの、サンエさんを見つけ出すことはできなかった。結局、家族はサンエさんが行方不明となったその場を離れず、サンエさんを待ち続けた。イさんは南大門市場で韓服の店を、兄は宝くじ屋を開いて生業を立ててきた。「人が通り過ぎるたびにお前じゃないかと思ってきたんだけど、会えなかった。見知らぬ場所で言葉も通じず、不慣れだっただろうに、ごめんね」と涙をぬぐいながらイさんは言った。

 サンエさん家族の再会は、今年1月から警察庁、外交部、保健福祉部が合同で実施している「海外韓人養子家族探し」制度を通じた初の再会例だ。サンエさんのような国外養子が、韓国に入国せずとも、在外公館で遺伝子を採取して家族を探せるようにしたものだ。行方不明になった後、米国のある家庭の養子として送られたサンエさんは、最近ボストンの在米韓国総領事館を訪れて遺伝子を提供し、外交部がこれを警察庁に送って家族関係を確認した。イさんは「最後まで娘を捜し出すことを諦めなかったから奇跡が起きたのだと思う。この知らせが他の行方不明者家族の希望になってくれたらと思う」と述べた。

 政府は、1958年から2018年にかけて米国やフランス、スウェーデンなど14カ国に16万7547人の児童が養子として送られたと見ている。現在、ルクセンブルクを除く13カ国、34公館で遺伝子採取検査を実施している。

イ・ジェホ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/966228.html韓国語原文入力:2020-10-18 18:28
訳D.K