30045。昨年確認された児童虐待の件数です。2016年の1万1715件に比べると3倍近い数値です。その間、急速に児童虐待が増えたのでしょうか。いや、むしろ児童虐待の認識が新たに定着し、「発見」と「申告」がそれだけ増えたと見るのが妥当だと思います。
問題はこれに責任を負う大人たちです。そのために市民団体「政治する母親たち」が乗り出しました。同団体の人たちは、9歳の児童をスーツケースに閉じ込めて死なせた忠清南道天安市(チョナンシ)の児童虐待死亡事件を見て、「黙ってじっとしてはいられなかった」といいます。そして天安地域の児童保護専門機関の館長、市長、警察署長などに実名で責任を問う告発状を書いたのです。大人が具体的な現場で責任を果たさなければならないという母親たちの主張です。ハンギョレは「その子は助けることができた」という記事でその声を伝えました。
こんにちは。土曜版部のハ・オヨン記者です。私には一つ年上の兄がいます。幼い頃、両親が仕事で家を空けると、年老いた祖母の代わりに兄が夕食を支度しました。兄は時々ラーメンを作りました。兄が渡してくれるラーメンの器に顔を突っ込んでずるずるとすすった、あのかすかな記憶と重なったためでしょうか。14日に仁川弥鄒忽区(ミチュホルグ)の火災報道に接して以来、重苦しい気分が消えません。10日以上集中治療室にいて自分で呼吸もできない兄弟のことを考えると、今も一行、一句を書き進めるのがつらいです。
仁川事件は、ハンギョレが報道した天安事件と様々な面でそっくりでした。悲劇の予兆がそうです。仁川事件は2018年9月に遡ります。近所の人が児童虐待が疑われるとして最初に通報します。共に民主党のホ・ジョンシク議員室が入手した当時の記録を見ると、「物理的環境を改善すべきだと注文した」とあります。家の中はゴミでいっぱいだったといいます。児童福祉法第15条は「自治体長は管轄地域内で児童保護が必要な場合、措置を取ることができる」と規定しています。「シェルター入所」、「家庭委託」などを通して、児童保護能力に欠けている保護者から子どもを隔離することができます。
しかしその日以降、区役所、児童保護専門機関などは、相談を中心とした「事例管理」を決めました(天安事件で隔離措置をせず相談で代えたケースと同じです)。ところが、2019年9月に住民から再び通報がありました。しかし、関係機関は事例管理を続けるだけです。児童福祉法のみに保護の根拠があるわけでもありません。児童虐待犯罪の処罰に関する特例法は、虐待発生現場で行為者を児童から隔離し、児童虐待関連保護施設に引き渡す権限を与えています。
3回目の通報はその8カ月後です。児童保護専門機関は、今回も職権隔離ではなく裁判所の判断に任せます。裁判所は(保護者からの)「隔離」ではなく「相談」の決定を下します。母親は6カ月、子どもは12カ月の間、週に1回のペースで相談しなければならないというものでした。ひとつ疑問が残ります。裁判所はなぜ、区役所で家庭訪問を18回、相談を58回もしたことを確認しながらも、このような決定を下したのでしょうか。もちろん隔離だけが答えというわけではありません。しかし、当時子どもたちをその家に置いておくことにした裁判所の決定は、果たして最善だったのでしょうか。天安事件がそうであるように、関係機関はすべて「規定通りの義務を果たした」という回答を繰り返すばかりです。
これだけではありません。4日、裁判所の命令文が児童保護専門機関に届きましたが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で相談が先送りになります。悲劇が起きたのはその10日後です。同じ理由で天安事件も面談を先送りにしている間に悲劇が起こりました。COVID-19は全ての人の動きを止めてしまう災難です。しかし、COVID-19がいつまで責任逃れの理由になるのでしょうか。
今すぐ3万件あまりの児童虐待をすべて防ぐことはできません。しかし、仁川や天安の悲劇のように、再虐待の事例に該当し、「知っていながら」対処を逸する事件は防がなければなりません。保健福祉部が毎年発刊する児童虐待年次報告書は、昨年だけで3431件、2776人の子どもが再虐待を受けたと分類しています。このうち、小学校在学中とみられる満12歳以下の児童が1729人で62%に達しています。
数字は無味乾燥です。しかし、その中のエピソードはあらゆるケースを含んでいます。天安の子どもも、仁川の兄弟も、おそらく2020年報告書には再虐待の事例に分類されて記されるでしょう。いつまで状況のせいにして、システムばかりを言い訳にしていなければならないのでしょうか。毎年3千人近い子どもたちが繰り返される虐待に苦しむのを知りながら、「そこにじっとしていろ」とどれだけ繰り返せば済むのでしょうか。