厳しい延長戦の末、今回も生き返った「おきあがりこぼし」の政治家。
2018年の地方選挙を控え、実兄の強制入院に関連して虚偽の事実を公表した容疑で、控訴審で罰金300万ウォン(約27万円)の当選無効判決を言い渡されたイ・ジェミョン京畿道知事に対し、最高裁(大法院)が無罪趣旨の破棄・差し戻しの決定を下したことで、イ知事は自分を苦しめてきた4つの容疑をすべて晴らした。再び政治家として起死回生に成功し、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対応で高まった認知度と支持率を基盤に、大統領選挙候補争いにも弾みがつく見通しだ。
イ知事は地方選挙後の2018年12月、「実兄の強制入院」に関する虚偽事実の公表のほか、城南市盆唐区大庄洞(プンダング・テジャンドン)開発関連の業績を誇張し、2002年に検事を詐称した前歴を否定した公職選挙法違反など、4つの容疑で起訴された。しかし、実兄強制入院と関連した虚偽事実のほかに、残りの3つの容疑に対しては一、二審で無罪判決を受けた。
城南(ソンナム)市長を2期務めた経歴を元に、京畿道知事に当選した時から始まった裁判や女優とのスキャンダル、暴力団関連疑惑などが相次いだこの2年間は、イ知事のいう通り「疾風怒濤のような時期」だった。特に女優とのスキャンダルは大きな悪材料だった。イ知事は、事件を調査中の警察に身体鑑定を要求して拒否されると、自ら直接亜洲大学病院に移動し、医療専門家とマスコミの前で潔白を証明した。
多くのヤマ場を乗り越えてきたイ知事だが、控訴審裁判後、最高裁の判決が遅れ、「ギロチンの前で待っているような心情」だとし、極度の緊張感を訴えた。最高裁が控訴審の判決を確定した場合、知事職を失うのはもちろん、与党の潜龍から墜落し、政治家としての将来が不透明になるためだった。しかし最高裁がイ知事の容疑を晴らす判決を下したことで、捜査と裁判に苦しんできたイ・ジェミョン流京畿道政が活力を得ると同時に、次期大統領選挙の有力候補として浮上することになった。
苦しい訴訟の他にも、彼の人生には苦難を乗り越えて立ち上がった場面がいくつもある。慶尚北道安東(アンドン)出身のイ知事は、家庭の厳しい経済事情のため、中学校への進学をあきらめ、城南市の上大院公団で5年間、工場労働者として働いた。その時代の労災のため障害者6級判定を受けたイ知事は、高校入試・高校卒業認定試験を経て中央大学法学部を卒業後、司法試験に合格し、人権弁護士の道を歩んだ。当時の生活を綴った本『私の少年工ダイアリー』で、彼は「苦しく、混乱した未来を恐れるこの地のすべてのリトル・イ・ジェミョンに希望のメッセージになりたい」と書いた。
その後、市民運動家として城南市立医療院の建設に乗り出したが、現実の壁にぶつかり、政治の道に進んだイ知事は、2010年から2018年まで城南市長として2期を務めた。当時、城南市(ソンナムシ)のモラトリアム宣言と克服、城南市青年手当てなど3代無償福祉を通じて、次第に「無名の地方市長」から「スター市長」へと、全国にその名を轟かせたイ知事は2017年、共に民主党大統領候補党内選挙に出馬し、当時文在寅(ムン・ジェイン)候補やアン・ヒジョン候補に続いて3位となり、決選投票の候補にはなれなかった。
翌2018年の地方選挙でナム・ギョンピル自由韓国党候補を24%の大差で破り、京畿道知事に当選したイ知事は「抑強扶弱」(強い者の勢いを抑制し、弱い者の立場を擁護する)を掲げ、公正と平和の価値が込められた政策を次々と打ち出した。京畿道青年手当の支給や京畿道内の河川不法施設の一斉撤去など、強力かつ迅速な政策などがその事例だ。特に、自他共に認める国内の代表的な「基本所得論者」である彼は、コロナ禍を経て名実共に大統領候補級の政治家として存在感を示した。国内で初めて災害支援金を支給したのをはじめ、集団感染の震源地として取り上げられた新天地イエス教会の告発や現場点検などの強力かつ先手を打つ対処、南北間の対峙局面の中、北朝鮮へのビラ散布に対する強力対応などを通じて、大衆の信頼と支持を受けてきた。
これはイ知事の支持率上昇につながった。就任直後、各種疑惑など悪材料の影響で、市・道知事の職務遂行に対する支持率の世論調査で29.2%で、全国17市・道の自治体首長のうち最下位だった彼は、先月の調査では71.2%で1位になるなど、ドラマチックな支持率の変化をもたらした。