6月29日(現地時間)、世界貿易機関(WTO)の紛争解決機関(DSB)は、日本が昨年7月に韓国に対して実施した輸出規制措置について、紛争解決手続きを再開するための初会議を開いた。韓国の再開要請によって開かれた同会議は、被訴国日本が一審裁判部にあたるパネルの設置を強く拒否したことで、結論を出せないまま散会した。加盟国の満場一致の同意が得られない限り、パネルの設置を阻止できないにもかかわらず、手続きの進行を妨害するため、とりあえず“抵抗”を示したのだ。そのほか、韓日両国は世界遺産の端島(軍艦島)関連展示物の“歴史歪曲”をめぐる論議など、様々な懸案で再び激しい攻防を繰り広げている。今年3月初めに新型コロナウイルス感染症(COVID-19)事態が深刻化したことによってしばらく続いていた休戦を終えて、再び全面的な白兵戦に乗り出す格好だ。
日本が韓国の半導体生産に必要なフッ化水素などに対する輸出規制措置を取り、韓日関係を荒波の中に追い込んでから、今月1日でちょうど1年になる。1年の歳月が流れたが、両国関係は依然として“史上最悪”の長いトンネルを抜け出せずにいる。同措置を日本による“経済侵略”と受け止めた韓国国民の間で不買運動が広がり、韓国政府が韓日軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の終了を決定したことで、戦線が“経済”から“安全保障”にまで拡大した。その後、協定の延長を選択した韓国の後退で破局は避けられたが、関係改善の糸口は依然として見つからない。
専門家たちは、最悪の状況に至った韓日関係を再び正常な軌道に乗せるためには、このすべての対立の“原因”である韓国最高裁(大法院)の「日帝強制動員被害者判決」をめぐる円満な“妥協案”を見出さなければならないと指摘する。しかし、互いに相手に決定的な譲歩を求め、「このままでは共倒れ」という脅しを繰り返すだけで、妥結の見通しは非常に暗い状態だ。
韓日の交渉が膠着状態にあることを劇的に示した事件が、今年初めの両国首脳間の攻防だった。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は1月14日に開かれた年頭記者会見で、韓日が「膝を突き合わせ、知恵を集めたい」と述べ、対話を通じた解決の意志を強調した。これに対し、安倍晋三首相は6日後、「国と国との約束を守るべきだ」という冷ややかな反応を示した。韓日請求権問題が「完全かつ最終的に解決」されたことを宣言した1965年の請求権協定を守れという話だった。聖公会大学のヤン・ギホ教授は、「韓国政府は昨年6月の最初の提案以降、強化された提案をいくつか出してきた。しかし、日本が強く拒否しているため、(今のところ)方法がない」と述べた。
大統領府も「原告に支給される金源は被告企業から出るべきだ」という最低基準のみを立て、柔軟な態度で外交協議を進めているが、日本が強硬な姿勢を崩さず、当惑しているという。静岡県立大学の奥薗秀樹教授は「日本は現代の日韓関係の基礎になっている『65年体制』を守るべきと考えている。日本企業の資産を現金化した金が原告に渡る瞬間、請求権協定は完全に無視される」と述べた。「最高裁判決」の枠内で解決策を見出そうとする韓国と「65年体制」を死守しようとする日本との間で、妥協点を見いだせない凄絶な対立が続いているわけだ。
韓国政府は日本との2回目の衝突を望んでいないものの、避けられないという立場だ。政府・与党は、今年下半期に原告らが現金化に乗り出した場合、予想される日本の追加の報復措置の衝撃を最小限に抑えるため、対策作りに取り組んでいる。文大統領は29日、首席・補佐官会議で「1年前の電撃的な日本の措置に動揺することなく正面突破し、災い転じて福となすきっかけを作った」と述べた。日本の麻生太郎副首相は昨年3月、日本が取れる措置に「関税、送金の停止、ビザの発給停止」などを挙げた。
韓日の対立は“歴史をめぐる対立”から、新冷戦が始まった東アジアの未来像をめぐる両国の和解しがたい立場の違いを反映する“構造的・死活的対立”に移行している。日本は、韓国政府が2018年以降、民族の命運をかけて進めてきた南北関係の改善と朝米核交渉の決定的なヤマ場のたびに妨害に出ており、最近は韓国の「北朝鮮と中国に対する外交姿勢」を問題視し、「拡大G7」に韓国を参加させるという米国の案に反対している。韓国最高裁の判決をめぐる過去2年間の対立は、一時は同じ方向を向いていると思われていた韓日間の“戦略的利害”が、実は大きく異なっていたことを痛感させられた時間でもあった。安倍政権で二度防衛相を務めた小野寺五典氏は、韓国との関係改善に努めるよりも、「丁重な無視」を呼びかけた。
だが、日本との関係を放置するのは極めて危険との指摘もある。日本が韓米同盟より上位にある米日同盟の力を利用し、韓国が「朝鮮半島平和プロセス」を推進するのをしばしば妨害する可能性もあるからだ。慶南大学極東問題研究所のチョ・ジング教授は、「韓国政府は朝鮮半島平和プロセスについて、一度も日本とまともに協議したことがないと思う。厳しい状況であればあるほど、指導者の知恵と決断が必要だ」と述べた。