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また取り壊し…唯一残る日帝強占期の精米所も

登録:2020-04-14 01:37 修正:2020-04-14 07:10
仁川、1880~1950年代の210の建物が消滅の危機
仁川新興洞にある日帝強占期の1930年代に建てられた奥田精米所。現在、取り壊しの危機に瀕している=仁川市民社会連帯提供//ハンギョレ新聞社

 開港や日帝強制占領期(植民地期)の歴史を持つ仁川(インチョン)の近代建築資産が相次いで取り壊されている。仁川市は近代建築資産の保存、管理に取り組むが、民間所有の個人財産なのでなすすべがない。

 仁川市中区開港路(チュング・ケハンノ)45番通りにある仁川監理署(高宗の時代に通商業務などを管理、監督していた行政機関)のそばにある2階建ての木造建築物(約240平米)が今月8日に取り壊された。日帝強占期の1930年代に建てられたこの建物は、当時仁川府立職業紹介所が運営していた共同宿泊所だったという。就職斡旋と住居地のない求職者のための空間だった。

 2016年以降、中区にある日帝強占期に建てられたソンジュオク(1930年)、朝日醸造場(1939年)、東方劇場(1941年)、愛敬石鹸工場(1902年竣工)などをはじめ、近代産業遺産と評価される東区のシニル鉄工所なども歴史の中に消えた。

 さらに女工の痛みを秘めた中区新興洞(チュング・シンフンドン)の「奥田精米所」(1930年代と推定)も撤去される予定だ。この建物を撤去した跡地には、地上20階建てのオフィステル2棟が建設される。すでに昨年10月には建築審議を通過している。奥田精米所がある新興洞一帯には複数の精米所があったが、現在も残るのは奥田だけだ。当時、女性選米工たちが男女間の賃金差別と賃金引き下げに反対して労働運動を展開した歴史的な場所でもある。

 仁川都市公共性ネットワークをはじめとする仁川地域の46の市民社会団体は先日、共同声明を発表し、「仁川市はまず何よりも精米所の建物の撤去を防ぐための特別な対策を立てよ」とし、「近代建築資産を、積極的に市指定文化財や登録文化財に指定せよ」と求めた。

 1880年代の開港期から1950年代までに建てられた同地域内の210あまりの近代建築資産は、その相当数が取り壊しの危機にさらされている。これらの近代建築は民間の所有であるうえ、所有者の同意なしには「市登録文化財」に指定できないため、保存そのものが難しいからだ。国指定登録文化財への登録は、さらに難しいのが実情だ。市は昨年、仁川師範学校(1952年)などの6つの近代建築を文化財庁に国指定登録文化財として申請したが、うち3つは否決された。残る3つはいまも手続きが続いているが、建築関連記録の不備により登録は容易ではない。

 市の関係者は「築50年以上の近現代の建築物の中で、保存価値があると判断される建築物は、所有者の同意を得なければ登録文化財への指定も不可能。所有者の参加を誘導できるように恩恵の付与など制度を整備している」と述べた。

イ・ジョンハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/capital/936809.html韓国語原文入力:2020-04-13 14:56
訳D.K

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