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「日本の新元号の談話文の中に『文化』が入れられた意味は何?」

登録:2019-10-23 08:15 修正:2019-10-24 06:45
キム・ソンウン全南大学教授「文化通じて国民統合を標榜」 
「過去の軍国主義時代『文化』は侵略の正当化の手段」 
安倍首相、4月に新元号「令和」関連談話 
光州市民自由大学 9月から「ノウ・ジャパン」講座進行
5月1日、日本の東京皇居で徳仁新天皇(中央)が即位最初の発言をしている=東京/時事・聯合ニュース

 「今後、安倍政権が統合された力をどこに持って行くかがより大きな関心だ」

 キム・ソンウン全南大学教授(日本語日文学科・日本文化研究センター長)は先日19日、光州市民自由大学の主催で開かれた「ノウ・ジャパン」(Know Japan・日本を正しく知ること)講座でこのように語った。キム教授はこの日、「近代日本の力:翻訳」というタイトルの講演で、近代以後、日本で使われた「文化」という言葉の歴史的脈絡を細かく突いていった。文化という言葉は、1910年代から日本軍国主義の戦争中にも流行して、第二次世界大戦後も生存した言葉である。

 私たちの日常でもしばしば使われる「文化」という言葉は、日本の西洋語訳語だ。安倍首相は4月1日、天皇の新元号に関連して出した談話文で、文化という言葉に4回も言及した。 安倍首相は「令和」という元号について「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」との意味だと説明した。キム教授は「文化という言葉を通じて国民統合を進めていくという意味が込められている」として「文化という言葉が、過去の軍国主義時代の文化という言葉のように使われる可能性はないのかを、意識して見なければならない」と指摘した。

 「文化」はドイツ語の「クルトゥーア」(Kultur)を訳した言葉である。 文化という言葉を初めて使ったのは桑木厳翼(1874~1946)東京帝国大学哲学科教授だ。彼は1915年にカントの論文を訳してクルトゥーアを文化に翻訳した。「シビライゼーション(civilization)が物質的設備の進歩を始めとした類型の各種制度や機械の応用などを示すなら、クルトゥーアは精神的理想的方面、すなわち芸術や宗教や道徳や学問などの進歩を指す」

キム・ソンウン全南大学教授が19日、光州市民自由大学「ノウ・ジャパン」講座で「近代日本の力:翻訳」をテーマに講演している=市民自由大学提供//ハンギョレ新聞社

 文化という言葉は軍国主義と両立可能な言葉として使われた。大山郁夫(1880~1955)も1916年に「軍国的文化国家主義-ドイツ国民生活の一面」という文を通じて、軍国主義的文化国家であるドイツを日本のモデルにしようと主張した。

 キム教授は「1910年代から日本軍国主義の戦争中にも流行した文化という言葉は、戦後まで生存したわけである」と語った。

 日本が文化と翻訳したドイツ語の「クルトゥーア」は、フランスで使われる「シビリザシオン」(civilisation・文明)と微妙な違いがある。キム教授は、「シビリザシオンは市民(civil)社会全体の発展・成果を示す表現だが、ドイツは隣の大国のフランスに対する対抗意識でクルトゥーアを使った」と述べた。キム教授は「ドイツ人のクルトゥーアには、フランスに対する劣等感も作用していた」と話した。

 東洋からも文化の起源を探すことは難しくない。中国古典を通じて伝わった「文治教化」という四字成語に脈がつながっている。この言葉は「刑罰・威力を使わずに人民を教化する」という意味で、「文は武と対立する概念」である。キム教授は「文化には、武と対立される中国書籍の中の意味と、ドイツ語のクルトゥーアの意味が混在している」と述べた。

 学問やメディアで文明と違う意味で使われ始めた文化という言葉は、大衆の中に深く入り込んでいった。1910~20年代の日本の民衆の間では「文化=高級化」だった。ご飯の水があふれてもこぼれないようにした「文化鍋」と、小麦粉の中にあんこなどを入れて蒸したり焼いたりした菓子が「文化饅頭」という名前で商品化され、大きな人気を得た。1920年代に赤い瓦、ガラス窓、白いカーテンなど西洋の品を取り入れた折衷型の家は「文化住宅」として流行した。

19日、光州市民自由大学と光州市教育庁が主催して開かれた「ノウ・ジャパン」講座=市民自由大学提供//ハンギョレ新聞社

 日本では敗戦後に再び「日本文化論」が登場する。日本は1946年に制定した憲法で文化という言葉を使う。1970年代以後、経済成長と共に日本では「劣等でない」と日本文化の長所を強調する「文化論」が活気を呈した。人類学者のハルミ・ベフは『イデオロギーとしての日本文化論』(1987)で、日本文化論の盲点を指摘した。キム教授は「近代以後、日本文化論が達しなければならない模範は、常に外部にあった。他人が私たちをどう見るかを心配する日本人の不安・焦燥の心情も滲んでいる」と分析した。

 日本の過去の行跡を見みると、「文化」の表と裏を区別して見なければならないという指摘も出る。キム教授は、「過去の日本が帝国主義的侵略のために名分が必要である時に掲げたのが文化という言葉」として「西洋がアジアを侵略する時に文明を掲げたように、日本も『日本文化の優秀性を他の国々に伝えなければならない』とアジアの国家の侵略を正当化した」と指摘した。「過去の軍国主義時代のように使われる可能性はないのかを注意せず、文化という意味が持っている良い意味だけを考えてはいけない」

 一方、高麗大学日本語日文学科を卒業した後、日本の東京大学の比較文学比較文化大学院で修士・博士の学位を取得したキム教授は、日本の近代思想と翻訳部門を研究し、韓国日本近代学会の第39回国際学術大会優秀論文賞(2019)と日本の立命館大学主催の国際学術賞(2015)を受賞したことがある。

チョン・デハ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/913966.html韓国語原文入力:2019-10-22 09:39
訳M.S