原文入力:2009-10-27午後08:12:21
真実和解委“苛酷な行為で自白させた”再審 勧告
キム・ミンギョン記者
1970年代‘留学派インテリ’と現役国会議員が死刑に処されたいわゆる‘欧州スパイ団事件’が明確な証拠もないまま拷問等を通じて拡大・誇張されたものと確認された。
真実・和解のための過去史整理委員会(真実和解委・委員長 アン・ビョンウク)は去る13日開かれた第112次全員会議で欧州スパイ団事件に対する真相究明内容を議決し、国家の謝罪と裁判所の再審を勧告したと27日明らかにした。欧州スパイ団事件は去る1969年パク・ノス(拘束当時36)氏とキム・キュナム(″40)氏など7人が中央情報部に国家保安法と反共法違反疑惑で拘束された後、パク氏とキム氏が死刑となり、他の人々も5~7年の刑を受けた事件を言う。
真実和解委は「1960年代欧州にいたこれらの人々が東ベルリンと平壌などを訪問した事実を口実に拷問を通じてスパイ事件に拡大・誇張した」として「スパイという証拠として活用された労働党加入問題は裁判所でも無罪判決が下されており、自白の他にはスパイであったことを裏付ける明確な証拠はなかった」と判断した。
真実和解委による調査の結果、これらを調査する過程でキム・ヒョンウク当時中央情報部長がパク・ノス氏を拳銃で威嚇し拷問はもちろん睡眠をとらせないなどの苛酷な行為をしたと発表された。また彼らが令状もなしに連行され一週間にわたり不法拘禁され、ソウル地検は違法的な捜査内容を分かっていながら起訴を強行したと真実和解委は指摘した。続けて真実和解委は「再審開始審理中に死刑を執行した点も裁判権と生命権を剥奪した人権侵害」と明らかにした。
1970年に大法院で死刑判決を受け2年後に死刑になったパク・ノス氏は東京大学で学部を終えた後、1961年英国ケンブリッジ大に移り国際法大学院過程を経て研究員だった。パク氏の死刑判決が知らされるや母校の東京大とケンブリッジ大では韓国政府に嘆願書を送ることもした。キム・キュナム氏は連行当時には政権与党の民主共和党国会議員だった。2人は東京大同窓であり、共に拘束起訴された5人もパク氏と個人的に懇意にしている人々だった。
パク氏の上の姉パク・ギョンジャ(89)氏は「うれしくて、すばらしくて、有難くて、これで心残りがない」としつつも「死んだ弟の紹介で英国留学に発った長男がスパイ事件に組み入れられることを恐れ英国に亡命し、今も帰ってこられず心が重い」と話した。
キム・ミンギョン記者salmat@hani.co.kr
原文: 訳J.S