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[インタビュー]「強制徴用最終判決の瞬間、亡くなった被害者を思い出し、涙が出た」

登録:2019-05-15 08:30 修正:2019-05-15 09:08
「朝鮮人強制労働被害者補償立法をめざす日韓共同行動」の矢野秀喜事務局長
今月9日、ソウル瑞草洞のソウル中央地方裁判所付近のある事務室で会った矢野秀喜「朝鮮人強制労働被害者補償立法をめざす日韓共同行動」事務局長=コ・ハンソル記者//ハンギョレ新聞社

 2012年5月、最高裁判所(大法院)は、日本の戦犯企業の新日鉄住金(旧新日本製鉄)が日帝強制占領期(日本の植民地時代)の強制徴用被害者に1億ウォンを補償すべきと判断した。

 「新日本製鉄はいかなる形であれ韓国の最高裁の判決に従うと思います」

 「朝鮮人強制労働被害者補償立法をめざす日韓共同行動」(以下共同行動)の矢野秀喜事務局長(69)は7年前、判決が下された際に行ったハンギョレとのインタビューで、楽観的な見通しを示した。新日鉄製鉄の経営陣は株主総会で「判決は残念だが、最終確定すれば従わざるを得ない」という立場を明らかにした。アジアで事業を持続させるためには、判決に従うしかなかったのだ。

 やがて、昨年10月、最高裁判所の最終判決が出た直後、日本で開かれた記者会見で矢野事務局長は涙を流した。今月9日、ソウル瑞草洞(ソチョドン)のソウル中央地方裁判所近くで、ハンギョレのインタビューに応じた時も、彼の目には再び涙が浮かんでいた。その間、何があったのだろうか。

東京で公務員として労働運動に参加  
1995年、在日朝鮮人ヨ・ウンテク氏と出会う  
新日鉄製鉄に賠償・賃金返還の“訴訟”  
昨年10月、韓国の最高裁で“勝訴” 
 
25年間「最高の反日人物」との脅威にも  
「被害者と約束、最後まで守らなければ」

矢野秀喜事務局長(右端)が9日、ソウル瑞草洞の法務法人ヘマル事務室で、強制徴用事件を代理してきたイム・ジェソン、キム・セウン弁護士、民族問題研究所のキム・ヨンファン対外協力室長とともに、強制徴用再上告事件に関する会議をしている=民族問題研究所提供//ハンギョレ新聞社

 7年前、ソウル高裁に差し戻された事件は、昨年になってようやく最高裁で最終判決が出た。その間、安部政権が発足し、この事件を再び抱えるようになった朴槿恵(パク・クネ)政権の最高裁が、5年以上再上告審の宣告を先送りにしてきたからだ。最近、司法府と行政府が同事件をめぐって一種の取引をしようとしたという疑惑まで浮かび上がった。

 「1995年から強制徴用被害者のヨ・ウンテク氏と交流がありました。彼は『人生を日本に振り回された。賃金さえもらっていれば、牛を何頭か買ったのに…』といつも独り言を言っていました。結局、勝訴の判決が下されるのを見ることなく亡くなったことを思うと、胸が痛みます」

 矢野氏は共同行動所属で、1995年から25年間にわたり強制動員被害者の法廷争いを支援するなど、植民支配に対する日本政府と企業の謝罪と賠償を求めてきた。東京都千代田区で公務員として働きながら労働運動を行ってきた彼は、1995年、強制動員被害を受けた在日朝鮮人から「強制動員被害者の法廷闘争を手伝ってほしい」という要請を受けた。日本軍「慰安婦」被害者の証言に大きな衝撃を受けた彼は、1997年、強制動員被害者の故ヨ・ウンテク、シン・チョンス氏を支援し、大阪地方裁判所に新日本製鉄と日本政府を相手に損害賠償と未払い賃金の支給を求めて訴訟を起こした。以後、韓日両国を行き来しながら、計8回の裁判(日本3回・韓国5回)を行った。日帝強制徴用被害者5人は2000年5月1日、三菱重工業を相手に釜山(プサン)地裁に、4人は2005年新日本製鉄を相手にソウル中央地裁に、それぞれ損害賠償請求訴訟を起こし、昨年の最終結論が出たのだ。

 「労働問題は解雇が撤回され、復職して補償金をもらうという風に、なんとか終わらせることができますが、この問題にはなかなか終わりがありません。日本で3審まで敗訴しました。韓国では1・2審を経て、再上告審まで5回の裁判を受けました。23年間戦ってきたが、勝訴したその記録が被害者たちが生きた証だと思います」

 日本政府と企業に引き続き協議を要請してきた被害者たちは現在、強制執行の手続きを進めている。メーデーであり、徳仁皇太子が天皇に即位した「令和」時代の元日だった1日、韓国内の株式を売却して現金化する最終手続きに入った。新日鉄住金が所有するPNR社の株式と富士越所有の大成NACHI油圧工業の株式に対する売却命令申請を管轄の裁判所に行った状態だ。日本政府は「迅速に対抗措置を取る」と事実上“脅迫”しており、日本企業はその後に隠れている。韓国政府も沈黙している状況で、被害者が頼れるのは裁判所の判決だけだ。

 「新日鉄住金はこれまで裁判に応じており、1・2審で勝訴した時はその結果を受け入れました。ところが、敗訴が確定してから、急に『従えない』と言い出しました。おかしいと思いませんか?道理に合わないし、論理的でもありません。被害者個人と企業間の民事訴訟なのに、日本政府もこの訴訟結果にむやみに干渉することはできません」。

 しかし、司法的解決にも限界がある。2005~12年に対日抗争期強制動員の支援委員会で被害者と認定された人は22万人ほどだが、そのうち、訴訟を提起できる人はごく少数だ。法律で救済されない被害者を包括するには、財団が必要な状況だ。結局、強制徴用問題を解決するためには、韓日政府が乗り出さなければならないというのが矢野氏の考えだ。ナチスの強制労働で得た企業の利益を捻出し、被害者に賠償させたドイツの「記憶・責任・未来」財団がモデルになれると思っている。沈黙している韓国政府と国会が乗り出さなければ実現できないことだ。

 矢野氏は1年に5~6回は韓日を行き来しながら、記者会見と集会などを通じて日本の自省を求めてきた。最近はソウル龍山区(ヨンサング)に建てられた植民地歴史博物館の建設に1億345万ウォン(約960万円)を寄付したこともある。日本全域で800人以上の市民と12の市民団体から集めた寄付金だ。「日本の生きた良心」と評価される一方、「日本一の反日」というレッテルも貼られた。

 しかし、矢野氏は決して諦めることはできないと話す。「携帯に電話がかかってきて、『お前、それでも日本人か』と怒鳴られた時には、『一応そのつもりですが…』と答えました(笑)。周りの友人たちがいつも私のことを心配していますが、それほど脅威を感じているわけでもありません。被害者たちと『共に裁判して、共に勝とう』と約束したので、その約束を私は最後まで守らなければなりません。被害者を支援する運動は、朝飯を食べるのと一緒です。私の人生の一部になりました」

コ・ハンソル記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/893899.html韓国語原文入力:2019-05-14 19:45
訳H.J