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[ニュース分析]朝米首脳会談、国交正常化の入り口の連絡事務所設置につながるか

登録:2019-02-20 06:50 修正:2019-02-20 10:37
米国、過去の敵対国との国交正常化へのプロセス
今月19日(現地時間)、ベトナムのハノイにある政府ゲストハウス(迎賓館)近くの道路で、関係者らが監視カメラ(CCTV)を設置している/聯合ニュース

 米国は、中国やベトナム、リビアなど、過去の敵対国との関係正常化を控え、連絡事務所や利益代表部を設置してきた。連絡事務所は関係正常化の“入り口”だったわけだ。2回目の朝米首脳会談を控え、連絡事務所の設置と役割が注目されるのもそのためだ。

 両国が公式の外交関係を樹立する協約を結んで開設する大使館と異なり、連絡事務所(liaison office)は明確に規定された機能と役割がない。合意に基づき「事実上の大使館」機能を担当することも、初歩的な“疎通の窓口”の役割を果たすこともある。これは、利益代表部(interest section)も同じだが、共通点は国交のない国の間に設ける"常設外交代表部"の性格を持つという点だ。

 バラク・オバマ米大統領の“業績”とされる米国とキューバの54年ぶりの国交正常化過程にも、利益代表部が存在した。キューバ革命から2年後の1961年に断交して以来16年間、米国の代理代表はスイスの駐キューバ大使館が務めた。ところが、ミサイル危機を経て、最小限の外交チャンネルを維持する必要性を感じた両国は、1977年にワシントンとハバナに相互利益代表部を設置し、以後40年近くこれを運営した。米国の利益代表部はスイス大使館の保護の下、キューバの利益代表部は当時チェコスロバキア大使館の協力によって設置された。

 米国と中国も1979年の国交樹立の6年前である1973年に、それぞれワシントンと北京に連絡事務所を設置した。1972年当時、リチャード・ニクソン米大統領と毛沢東中国国家主席が上海共同声明を発表し、関係正常化に向けて努力することで合意した。ちょうど1年後の1973年2月、両国は相手国の首都に連絡事務所を開設するという内容の共同合意文を発表した。当時、米国務省側が連絡事務所と大使館の違いを尋ねる取材陣の質問に即答できない場面もあった。両国が国交樹立に合意した1978年まで、連絡事務所は両国関係全般を扱う実質的な外交チャンネルの役割を果たした。北朝鮮の外交官たちが北京の米国連絡事務所を訪れ、米国側と接触したという記録もある。

 米国とベトナムの場合、ワシントンとハノイに連絡事務所を設置した期間は6カ月に過ぎなかった。両国が公式の外交関係を樹立した1995年のことだ。ただし、それに先立ち、両国の国交樹立の土台となったベトナム戦争での米軍捕虜及び行方不明者問題の解決と遺骨発掘事業のため、米国は1991年からハノイで事務所を運営した。ベトナムは別途米国に“事務所”を設けなかったが、米国は1991年、ニューヨーク国連本部に勤務するベトナム外交官たちの旅行規制を解除した。

 米国と核交渉を経て国交正常化したリビアにも、非核化過程における相応の措置として、首都トリポリに米国の連絡事務所が設置された。リビアが2003年、核を含む大量破壊兵器(WMD)計画の廃棄に合意したことを受け、米国は2004年2月に利益代表部を開き、それから4カ月後に連絡事務所に格上げした。同連絡事務所は、リビアの非核化措置が終わった2006年5月に大使館となった。

キム・ジウン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/politics/diplomacy/882798.html韓国語原文入力:2019-02-19 20:45
訳H.J

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