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任在慶(イム・ジェギョン)コラム[道を探して] 世の中を変えた人々(4)-2 「口止め酒宴」で、言いなりになった記者たち

新人の駆け出し記者が、中央・地方行政部,国会,裁判所と重要な民間機構中に枠をあわせている記者室に第一歩を入れる瞬間、大部分深刻な懐疑と反発心に包まれる。今の記者室が45年前に比べて,どれくらい変わったのだろうか? いたずらに推し量るのは難しい。

記者が出入処の記者室に足を入れるのと記者団に加入するのは別個だ。 ソウルで発行される大新聞らは記者団加入に問題がなかったが、放送と地域新聞は原則的に不可であり,最悪なのは数ヶ月の猶予期間を置いて、初めての人の記者団加入を「審査・通過」させる。 米国ギャング映画に出てくるシンジケート(マフィアと同意語で暴力組織)のように内部秘密をよく守るかが最も重要な審査基準だった。特定の不正・不法に目をつぶったりその反対に歩調を合わせて殴り倒したりもする呆れ返る八百長すなわち談合行為だ。行政府の中でも特に経済省記者団の八百長が激しかった。 談合を破る記者に加えられる制裁は、最近の言葉では「いじめ」であり、記者クラブ古参らの憎しみを買えば「取材は完全に不可能」とまではいかないが、それでも新人記者は記事を‘水を飲む’危険にぶつかったりもする。 このような時、本社デスクが記者クラブでいじめに遇った後輩の新人記者の肩を持って激励するかといえば、私の経験では違う。「バカなやつだな…記者クラブの記者らと一緒にやらなきゃ!」という反応がすべてだった。取材要領と記事作成能力が優れているならば分からないだろうか、記者クラブからのいじめは、十中八・九は外勤記者非適格判定の理由として作用した。ジャーナリズムはメディアらの間の競争だけでなくてジャーナリストの間の血のはねる争いの場だ。

1967年初春、三星の「韓国肥料火入式」招請に対する経済企画院記者室の反応がどうだったのか、41年前のことだと確実にに浮び上がる場面はない。空前絶後の「火入式」を大々的に行うことが国家に献納することにした約束をひっくり返そうとする工作なのに、それにもかかわらず、蔚山(ウルサン)に行って一度気分転換するつもりだと記者らが浮きそわそわしていた記憶がぼんやり残っている。「火入式」があった日の朝、金浦(キンポ)空港で待っている蔚山(ウルサン)行の貸し切り飛行機に上がると、取材記者10人余りだけでなく、国会議員、経済官僚と三星関係者たち多数が見えた。特に、意外に思った人物らは、三星所有であった『東洋放送(TBC)』常務のキム・ギュ(当時イ・ビョンチョルの婿で後日、西江(ソガン)大学教授)、何々部長職のホン・トゥピョ(全斗煥政権下で専売庁長と韓国放送公社社長役だった)だ。この二人は、同じ大学に通うことはしたが、十年余り全く対面したことがなかったが、私を懐かしがる振りはきまり悪いだろうだけに、礼儀正しかった。世論をなだめすかすために、特別な計略を組んでその脚本のとおり動くという確信ができた。
言葉が「火入式」であったが、儀式のようなものは全くなく、工場を見回すのを適当にして、記者一行は自動車で東莱(トンネ)温泉のホテル兼料亭へ行くのであった。記者らに現金のような白い封筒一つずつを渡された後、すぐ酒宴が始まった。酒杯が何度か回って行って出るや賭博を楽しむ記者らは、準備された部屋に集まっていった。 記事を送るのはまさに今! 今、素早く抜け出なければ締め切り時間に出せないという気がした。ホテルの部屋に走って行った私は、電話交換手を呼んで,新聞社番号を告げて連結を頼んだ。その時が夕方7―8時頃だっただろうか、地域版は締め切り時間が過ぎたが、ソウル版締め切りはまだ充分だった。

「三星はなぜ前例のない火入式を挙行するのだろうか」「貸し切り飛行機を準備して,数十人のVIPに仕えたわけは?」「記者らに対する丁重な接待は何か」とする点を上げて、これは韓国肥料の国家献納白紙化を試みようとする企てがが進行している状況という内容の「箱記事」(※訳注:新聞・雑誌などの記事中、四方を罫線で囲んだ記事。主に社説・ゴシップ・解説などがこのような記事に相当する)であった。 30分余りで送稿を終えた後、私はそれとなく酒宴に戻ってきて座った。(他の記者たちに対して)「よく遊んでいるなあ。明日朝君たちすべて大声を出すはずなのに」という快感が、三十一才の若い私になかったといえば嘘になる。

※写真説明
1967年1月蔚山(ウルサン),韓国肥料工場の始動式でチャン・キヨン当時副総理(前列左側5番目)とソン・サンヨン韓国肥料社長(前列右側4番目)等がテープを切っている。 前例がない「火入式」は、以後4月の竣工式をするまでの間に起こった騒動だ。写真は<韓国肥料30年史>より。

原文:https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/288599.html
翻訳:T.M
記事原文掲載日:2008年5月20日