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任在慶(イム・ジェギョン)コラム [道を探して] 世の中を変えた人々(4)-1 「密輸」三星 その時も国庫献納を約束


『ハンギョレ』が創刊される20年前、すなわち1960年代後半なので40年前のことだ。 その時私は『朝鮮日報』の経済部記者だった。最近、全世界の資本を引き込んで,年8―9%の高度成長をしている中国のように、65年6月に韓日協定を締結して、朴正煕は日本の資本導入を経済政策の最優先課題とした。この機会を逃さないように、いや韓日協定それ自体を背後で追求した韓国の財閥らは、日本の資本をいわゆる「民間商業借款」形態に持ってくるのに血眼になったことは言うまでもない。各種単純消費財・耐久消費財・建築材料などの生産設備が主流をなし、基幹産業は請求権資金を財源にした浦項(ポハン)製鉄と三星が商業借款で建設する「韓国肥料」程度であった。

ところでここで驚天動地する事件が起きた。三星は巨大な物量の肥料製造施設の中に高級陶器衛生器具(洋便器類)と人工甘味料サッカリンを大量に隠して持ってくる密輸を行ったのだ。密輸した二つの品目は輸入禁止品で関税率がとても高く、関税と物品税を納めないことはすなわち暴利を意味した。三星の密輸は税関が摘発したのではなく、密輸品が市中でしばらく流通してうわさが広がり始めた後、新聞らが一歩遅れて報道したのだ。

2007年秋キム・ヨンチョル弁護士が、三星の秘密資金の実態を暴露した後広がった司法省での対応から推察できるように、法廷に行った三星の「韓国肥料」密輸事件はついに全貌が明らかにならなかった。その時、新聞社らが特別取材チームのようなものを作って本格的な調査報道をしたのだろうか。もちろんしなかった。
次官を承認して事後管理を担当する経済企画院、輸入資材の通関部署である財務省、肥料工場建設を点検する商工省、密輸品の流通を取り締まり・処罰しなければならない警察と検察が、三星密輸の共犯だという声が沸き立った。 当時野党議員だったキム・トゥハン(抗日闘士キム・ジュァジンの息子であり、一時期、医師協会を牛耳った)が、国会本会議場でチャン・キヨン(『韓国日報』創業者)副総理兼経済企画院長官に、タプコル公園の公衆便所で汲み取ってきた汚物を浴びせるハプニングが起こった。行政府だけでなく、執権であった共和党の財政委員長だったキム・ソンゴン(<東洋通信>所有者)、大統領府秘書室長イ・フラク、中央情報部長キム・ヒョンウクが三星から巨額の政治資金(賄賂)を受けたという噂が広まっていた。対国民謝罪や「厳正捜査」という姑息な方法で怒った民心を沈めるには、事が大きすぎた。三星が選択した収拾案は、イ・ビョンチョル(三星の創業者として現イ・ゴンヒ会長の父親)が大統領府で行って、大統領に対して、韓国肥料工場を計画のとおり建設した後国家にそっくりそのまま献納するという約束を文書ですることだった。そのように見れば、財閥らが国家献納提案で刑事責任をまぬがれるのは使い古されたメロディであるわけだ。
ことわざの通り、便所に行く前と、急な用便を終えて出た後の人の心は変わるのだ。韓国最初の近代的製糖および毛織物工場を建設して、二つの分野で市場を掌握することによって利益を得るだけ得た三星が、韓国最大の肥料工場を建設しておいて国家に捧げようとすれば、夜の眠りが来る訳がない。献納の約束を反故にする計略が三星中でうごめき、ついにその停止作業を着手する段階にきたのだ。
67年初夏、韓国肥料工場が「火入式」をするという発表が出た。「火入式」は、燃料を入れて火をつけるという言葉であり、工場の試運転をすると意味だ。普通、建設工事に参加した実務者らが豚の頭と蒸し餅をそろえて簡単を告祀を行うのがすべてだ。起工式と竣工式はあっても、多くのお客さんを集めて行った「火入式」は三星の韓国肥料工場が空前絶後だ。「火入式」に政界関係者らと記者団を招請するのであった。

※写真説明:1966年9月、韓国肥料の密輸事件によって国会汚物投擲事件が起こるなど、(韓国肥料・三星に対する)非難の世論が沸騰するや、三星創業者イ・ビョンチョル会長は、韓国肥料を国家に献納して名誉会長でとして退くと発表した。 <合同年鑑>より。

原文:https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/288391.html
翻訳:T.M
記事原文掲載日時:2008年5月19日