民主化運動の聖所であるソウル明洞聖堂の丘から昔の「パンネル通り」の道に沿って下ると、大型ビル群の間に島のように閉ざされた教会堂が見える。今年で創立55周年を迎える韓国基督教長老会所属の香隣(ヒャンリン)教会(担任牧師・キム・ヒホン)だ。行政区域はソウル乙支路(ウルチロ)2街164-11。世間では明洞香隣教会と呼ぶこの教会堂は、明洞聖堂とともに1987年の6月抗争を代表する歴史的な名所だ。1987年5月27日に抗争を主導した連帯機関の「民主憲法争取国民運動本部」がまさにここで結成された。昨年末に興行した映画『1987』(日本題『1987、ある闘いの真実』)でも主要舞台に登場し、改めて世間の注目を集めた。
80年代以来、多くの時局集会や会議が開かれたことで、在野や宗教、民主化、統一運動のメッカに挙げられてきた香隣教会の建物が、都心の再開発に押されて姿を消す運命となった。教会側は最近ハンギョレの取材に対し、現在の建物を再開発施工会社に売却し、4大門内の別の場所に新しい教会の建物を建てて移す案を確定したと明らかにした。現教会の撤去と移転は、乙支路明洞地区の大規模な再開発が本格化した10年前から議論されていたもので、今回の決定は今年5月に牧会者と信徒らが最高意思決定機構である共同議会を開いて議論した末に下した判断だという。続いて教会側は最近、再開発施行会社と売却のための仮契約を結んだ状態だ。
移転する場所はまだ決まっておらず、信徒と教団内の意見をまとめて来年ごろ確定することにした。イ・ソンファン副牧師は「教会一帯が乙支路明洞再開発区域に含まれ、大規模な住商複合ビルと都市公園が建設される」とし、「中区庁の事業承認が出る来年上半期(5月まで)を起点に建物の撤去と周辺の整備作業を進める」と伝えた。
1967年12月に完成した香隣教会は、地上4階、地下1階のコンクリート骨組みの建物だ。外壁の一部に赤壁石と花崗石を使った60年代の国内事務用ビルの外観を呈する。1993年に教会が発行した「香隣40年」によると、新築当時の関係者らは教会らしくない建物をつくることに関心を注いだ。香隣教会は1953年、ソウルの南山の中腹にある孤児院の建物から一般信徒の信仰共同体として出発した。このような進歩的な伝統を生かし、礼拝者を圧倒する伝統教会のスタイルから脱し、親近感のある日常的な空間の雰囲気を作ることが建設の原則になった。教会の鐘塔や十字架を外側に一切建てず、礼拝室の天井が低く、ゴシック窓などの装飾的要素を使わなかったのも、このような原則によるものだ。
香隣教会側は、撤去後かつて教会の建物で行われた民主化運動の跡を込めた記念公園を作ることを再開発業者側と合意したと明らかにした。イ副牧師は「壁など教会の建物の一部分を保存して展示する案を考えている」と話した。しかし、教界や学界では、民主化運動史で香隣教会が持つ象徴性を考えると、撤去が良い方法ではないという声もあがっている。建築史研究者のキム・ランギ氏は「建物の本体は残し、民主化記念館として活用する案を考える必要がある」と話した。