本文に移動

「乃台事件」をご存じですか?

登録:2017-11-23 22:03 修正:2017-11-24 07:53
1940年、釜山抗日学生義挙…1929年の光州学生義挙以後、最大規模 
23日釜山オリニ大公園の釜山抗日学生義挙記念塔で記念式
釜山抗日学生義挙77周年記念式が23日、釜山鎮区のオリニ大公園内の釜山抗日学生義挙記念塔で開かれた=釜山報勲庁提供//ハンギョレ新聞社

 1940年11月23日、釜山市西区(ソグ)西大新洞(ソデシンドン)の釜山公設運動場(九徳運動場)で「第2回慶南学徒戦力増強国防競技大会」が開かれた。日帝の戦時体制強化を目的として釜山・慶尚南道の学生が参加する大会だった。第1回大会では韓国人の学校である東莱(トンネ)中学(現、東莱高)が優勝した。第2回大会では前大会の優勝校である東莱中学が最初に入場する筈だった。だが、日本人の学校が先頭で運動場に入場した。

 日帝は大会でも韓国人の学校に不利な不公平判定を繰り返した。東莱中学は最後の長距離行軍で失格となったが、2位の日本人の学校より総合点で上回っていた。優勝は確実だった。当日午後の閉会式で、釜山兵たん基地司令官で大会審判長だった乃台兼治陸軍大佐は、日本人の学校を優勝校として発表した。

 東莱中学と釜山二商(現、開成高)の教師と学生は抗議した。だが、乃台は「審判の判定は神聖で絶対不可侵であるから従え」と強要した。大会に参加した韓国人学生1000人余りは、怒って運動場から釜山市中区宝水洞(ポスドン)方向に「アリラン」を歌いながら行進した。学生たちは中区瀛州洞(ヨンジュドン)にある乃台の官舎に押しかけ石を投げた。

 これに対し学生200人余りが連行され、15人が拘束、70人余りが退学・停学処分を受けた。彼らのうち2人は、監獄から出た後に拷問の後遺症で亡くなった。いわゆる「乃台事件」と呼ばれる釜山抗日学生義挙だ。

 釜山抗日学生義挙77周年の記念式が23日午前、釜山鎮区のオリニ(子ども)大公園内の釜山抗日学生義挙記念塔で開かれた。この日は、釜山市が昨年定めた「釜山抗日学生の日」だ。記念式には地域の愛国志士と遺族、市教育監、東莱高校・開成高校の在学生らが参加した。オリニ大公園の学生教育文化会館では記念写真展が、慶星大の建学記念館では全国学術セミナーが開かれた。

キム・ヨンドン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/820384.html韓国語原文入力:2017-11-23 14:57
訳J.S