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4転5起の末に議員当選 3日後‘5・16’

原文入力:2009-08-18午後05:23:17
‘40代旗手’対決で大統領候補に
[キム・デジュン前大統領逝去]屈曲多き一代記<2>挑戦

イユ・チュヒョン記者,ソン・ホジン記者

←朴正熙政権時期、3選改憲阻止デモを行い警察に連行される金大中前大統領.

金前大統領は早い時期から政治に関心を持っていた。挑戦初期には挫折を体験したが、1971年大統領選挙に出る時まで概して派手な政治人生をむかえた。

54年木浦から無所属で民議院に出馬した‘初めての挑戦’は失敗だった。彼は木浦での事業を整理しソウルに上がってきて、三角地に労働問題研究所を構えた。月刊<思想界>に労働問題関連原稿を執筆し労働運動評論家として知られた。58年4代総選挙と59年補欠選挙に出たが相次ぎ失敗した。4・19以後、民主党旋風の中で行われた60年の5代総選挙でも苦杯をなめた。この渦中に最初の夫人チャ・ヨンエ氏と妹を失い財産も失った。

←金大中代表とキム・サンヒョン,チョン・デチョル最高委員など民主党党役員らは1992年5月29日京畿道,平沢郡,玄徳面,道大里で田植えを手伝った。 イ・ジョンウ記者

61年36才で江原,麟蹄補欠選挙で当選し‘4転5起’に成功したが、3日後に5・16クーデターが勃発し議員職を失った。軍政期間、彼は反革命事件に関わり2度にわたり1ヶ月余りの監獄生活をした。その頃2番目の伴侶となるイ・ヒホ氏と結婚した。

63年6代総選挙から木浦に移って労働組合の支持と木浦商高同窓らの助けで当選し、本格的な政治人生が繰り広げられた。開院初期6ヶ月間に本会議で13回発言、本会議最長の5時間19分発言など数々の記録を立てた。

←71年大統領選挙で40代旗手 金大中が見せた威力は朴正熙を不安にさせた。

野党の‘財政通’として名を馳せ、スポークスマン,政策委議長などを務めた。上着に赤いハンカチーフを挿し白い靴を履いて通った彼は政界の洒落人であった。

67年7代総選挙で朴正熙政権は彼を落とすために政権次元の‘落選運動’を行ったが再び当選して名をはせた。

彼は野党内ではチャン・ミョン,パク・スンチョンなどが率いる民主党新派に属した。彼は70年に党内世代交代スローガンである‘40代旗手論’に力づけられ新民党大統領選候補選挙戦に出た。1次投票では1位金泳三候補に押され2位に終わった。

←金大中総裁が朝7時15分に党社を出て拘引に抗議する党員たちに手をあげて"心配するな"とし自制を頼んでいる。 ハンギョレ1989.08.03

しかし決選投票でイ・チョルスン候補と連合した彼は旧派の金泳三候補が勝利するという内外の予想を裏切り勝利して、大統領候補を占めた。71年大統領選挙で彼は‘朴大統領の永久執権陰謀’を暴露し、米・日・中・ソ4大国の韓半島安全保障案を提示するな朴大統領を威嚇した。結果は95万票差の敗北であった。

イユ・チュヒョン,ソン・ホジン記者edigna@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/371808.html 訳J.S