「『偉大な英雄』でもなく『残虐非道な独裁者』でもない、『人間・金日成(キム・イルソン)』の話です」
中国朝鮮族の作家ユ・スンホ氏(55)は、最近韓国国内で発行した『金日成評伝』で、南北いずれも正しく見ようとしない金日成の姿を描き出した。まさに「人間・金日成」だ。評伝に登場する金日成は、北朝鮮で語られる英雄や神のような存在ではない。抗日遊撃隊活動のために中国共産党に加入した金日成は、中国人地主に嫌味を言われながら“税金”を徴収しなければならなかったパルチザンの末弟であったこともあり、遊撃隊内であやまちを犯し役職を失う“左遷”も何回も受けた。親日民族主義者団体の「民生団」に追われ、中国共産党によって命を失いそうな状況になると、北満州地方に逃れたりもした。北朝鮮当局が決して聞きたくはない話だ。
しかし、ユ氏は韓国内の一部で主張する偽者金日成論も徹底的に否定する。たとえ神ではなかったとしても、「金日成が抗日闘争という正しい道を解放まで中断するなく前進したことは認めなければならない」という。彼は「もう『神でもなく偽でもない人間・金日成』を南北みなが知るべき時」だと強調する。6日、作家ユ氏とソウル弘益大学の近くで会った。
ユ氏はこうした「人間・金日成」を描くことができた理由として「自分が一時徹底した金日成英雄主義者であり、反対に『偽者金日成論』の信奉者でもあったから」だと話した。
中国で生まれたユ氏は、10代の頃の1970年代に金日成の「抗日パルチザン英雄物語」に魅了された。「その頃、ハングルの本は北朝鮮から入ってきたものがほとんどでした。全部金日成を偶像化した話でした。幼い頃から金日成将軍の歌、密林の長い夜の話などを読み、金日成に興味を持つようになったんです」。1982年に書いた彼の初めての小説が抗日運動に参加した少年パルチザンの話だったのも偶然ではない。
20~30代になり、「英雄金日成」に懐疑心を覚えた。そして偽者金日成論に入れ込んだ。1980年代末から「金日成は偽者」を主張する本が韓国から中国へどっと入ってきた時期だった。
結局、「英雄」と「偽者」という二つの罠から抜け出す。金日成とともに抗日闘争に加わった、中国内に生存している遊撃隊員たちをインタビューしたことが決定的だった。彼は1980年代初めから20年近く延辺をはじめとする満州一帯を巡り、遊撃隊員やその家族100人あまりにインタビューした。ユ氏は「韓国や日本の金日成研究者たちが1次資料にした日本や満州国の資料には誇張が多い。しかし1945年の光復以降、金日成に従って北朝鮮には来ず、中国に残った朝鮮人、中国人の縁故者たちの回顧談はほぼ100%信じられる」と強調した。インタビューの内容の中に、時には弱く、時には失敗を犯したが、休むことなく抗日運動を行った金日成の姿が生きていたという。
しかし、この内容は中朝関係を重視する中国では書きにくいものだった。そこでユ氏は2002年に米国に移住し、米国でジャーナリストとして活動し、2年前に引退した後ようやく評伝の執筆に取り組むことができるようになったという。彼が20~30年前にインタビューした資料であえて本を書いた理由は「人間・金日成」の姿が南北双方に必要だと感じたからだ。
彼は「『神』は良い点もあるが悪い点もある」とし、悪い点として「崩れるときは一瞬で崩れる」点を挙げた。彼は「金日成は神ではないが腐った水でもない。抗日闘争は正しかった」と言えるとし、金日成を人間として理解することが北朝鮮の変化にも役立つだろうと判断した。
彼は本を書きながら韓国でも「人間・金日成」が必要であることを切実に実感したという。いまだに国家保安法が猛威をふるっているからだ。原稿を検討したいくつもの出版社が、国家保安法を理由に出版を拒否したという。彼は紆余曲折の末、昨年12月に自費で「金日成評伝」50冊あまりを印刷しなければならなかった。
ユ氏は「ヒトラー研究の時も肯定することは肯定して否定することは否定する。金日成が偽者なら、どうやって解放直後にあの多くのパルチザンたちを連れて入国し、政権を掌握することができただろうか」と問い返す。このような努力が無駄ばかりにはならないようだ。彼が出版に難儀しているという事が知れると、篤志家が現れ出版社登録と1刷を支援すると名乗り出たそうだ。これによって評伝は「トゥソン出版社」という新しい出版社名で、1月20日に正式に世に出ることになる。
これから南と北が「金日成評伝」の中の「人間・金日成」をもっと多く知っていくとき、南北対話の扉もその分広がるだろう。