「ドキドキしますが、本当に幸せです」
29日、韓国を初めて訪れたブルガリアのソフィア国立大学のカーメン・ナム教授(59・地理学)が未だ会ったことのない腹違いの妹と会った。同日午後、京畿道庁のブリーフィングルームに入ってきた彼は、腹違いの妹のナム・ユルジュさん(仮名・49)を見つけるとすぐに抱きよせた。「お兄さん、頑張ってください。言葉は通じなくても父親のような情が感じられます」。腹違いの妹のナムさんの声が細かく震えた。
1953年に終わった朝鮮戦争以降も、分断の傷痕は半世紀以上続いている。
カーメン・ナム教授は南怡将軍(1441~1468)の子孫で、故ナム・スンボム金策工業総合大学教授を父親に、ソフィア国立大学のエカテリーナ教授を母親に持つ。
両親が結ばれたのは、朝鮮戦争の直後だった。北朝鮮は、幹部育成のために250人以上の留学生をブルガリアに送り込んだが、カーメン・ナムの父親であるナム・スンボムもその一人だった。ソフィア大学で5年間留学している間、ナム・スンボムは、戦争での負傷を治療するためにリハビリセンターに通っていたが、そこでカーメン・ナムの母親であるエカテリーナに出会った。
しかし、カーメン・ナムが2歳の時、父親のナム・スンボムが帰国命令を受け、1959年に平壌(ピョンヤン)に復帰したために3人は離散家族になった。
カーメン・ナムの母親であるエカテリーナは、帰国した夫を探すため八方手を尽くした末にブルガリアの駐北朝鮮大使館の秘書になった。息子のカーメン・ナムをブルガリアに残して北朝鮮を訪れたエカテリーナは、夫との再会を果たしたが、それも長くは続かなかった。
妻が外国人という理由で父親のナム・スンボムは教授の職を失い、母親のエカテリーナは2年後にブルガリアへの帰国を余儀なくされた。
北朝鮮での生活をもとにブルガリアで『コリア』という本を発刊したエカテリーナは、北朝鮮に残した夫に被害を及ぼさないよう連絡を絶ち、再婚もせず独りで息子を育てあげた。
その後、ナム・スンボムは北朝鮮で再婚して1男2女を儲け、ブルガリアに残して来た妻や息子に会うことなく1989年に死亡した。カーメン・ナム教授が劇的に再会した腹違いの妹は、故ナム・スンボムの次女で、2007年に北朝鮮から脱出し、中国を経て韓国に定着しており、数年前からカーメン・ナム教授とメールのやり取りを続けてきた。
カーメン・ナム教授は「今年5月、ブルガリアを訪問したナム・ギョンピル京畿道知事のおかげで今日妹に会うことができた。感謝している」と話した。
韓国語原文入力: 2016-08-29 17:14