本文に移動

失われ行くピマッコル, おぼろな追憶を辿る

原文入力:2009-07-05午後06:31:35
雨の日にはまだマッコリ求めるお客さん
10日まで写真・物品など展示会

←撤去前のソウル,鍾路1街ピマッコル ビンデトック路地. <ハンギョレ>資料写真

崩れた路地の上に雨が降った。捨てられた食堂の中には椅子と時計が転がり、動かない換気扇には時間が真っ黒に詰まっていた。
「みんな撤去された。もう七軒しか残っていない。私たちもまもなくこれらの食堂のように門を閉めなければならない。」傘をさしたユン・ヒョンス(50)氏が路地で箒の手を休めて地面に唾をペッと吐いて話した。

2日午後ソウル,光化門,大韓教育保険ビルディング裏のピマッコルは荒涼としていた。狭い路地裏に焼き魚屋など小さい食堂がきちょうめんに立ち並んでいた風景は影も形もなかった。しとしと降る雨の間で鉄筋構造物を示して力なく倒れた建物や鉄の目隠しが寂しさを加えていた。目隠し幕のあちこちに張り出された商店移転案内文だけがピマッコルの過去の姿をぼんやり証言していた。ユン氏は「普段は再開発工事で騒音が激しくホコリがたくさん立つのでお客さんはいないが、雨が降ればビンデトックにマッコリを目当てに見える人がまだいる」と話した。

ピマッコルは去る600年余りの間、庶民の通りだった。朝鮮時代の高官と彼らの馬を避け、普通の庶民が歩いた裏路地は過ぎた歳月の庶民らの飢えと稚気を癒してくれたソウルの代表的な空間だった。ピマッコルはもう再開発で大部分消えたが、それに対する追憶だけは相変わらずだ。こちらで婦人と二人でビンデトックとマッコリを楽しんだパク・ユンシク(63)氏は「時々こちらを尋ねてすでに30年を越えた」と言い、「私たちののよな人々の人生の跡形があちこちに残っていたピマッコルが消えて惜しい」と話した。

ピマッコルの追憶を積極的に残す人々もいる。オ・チャンソプ建国大教授(デザイン学部)は学生たちと共に先月15日から来る10日まで鍾路区,韓国デザイン文化財団で‘デザイン,ピマッコルを追憶する’という主題で展示会を開いている。この展示は路地のあちこちを縫って記録した写真と映像,撤去現場で直接収集した表札,電球,ひさご,花瓶等を通してピマッコルの過去と現在を注意深く覗き見る。

ピマッコルに集まっていた古びた食堂は大部分近隣の‘ルメイエル鍾路タウン’に席を移した。‘路地’は崩れ、消えた路地の代りに‘タウン’が入る。この‘タウン’ではもう魚を焼くにおいがしない。

キム・ギョンウク記者dash@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/area/364017.html 訳J.S