独特の雰囲気を漂わせたソウルの「近代通り」が、ついに消えることになった。ソウル広場の正面にあるプラザホテルの裏から始まり韓国銀行に至るソウル鍾路(チョンノ)区小公路(ソゴンノ)が「近代通り」だ。 ソウル市都市建築共同委員会授権小委員会は30日、大観亭跡を含め7個の近代建築物を取り壊しホテルを作るプヨングループの開発計画に対し修正可決決定を下した。
小公路は幅20メートルに過ぎない車道と三人が並んで通るにも狭い歩道からなっている。 この狭い歩道は90度に曲がりせり上がる建築物と直接触れ合っており、独特の街路風景を見せている。 密着して立ち並ぶ商店と狭い道のために、モダニズムは狭苦しくうす暗い不便な街路として描写する。 ソウル市も今回の修正可決決定に関する報道資料で、小公路の歩道の幅が約10メートルに拡張され「歩行環境が大幅に改善されるだろう」と明らかにした。
だが、この狭い街路は商店の人々と通行する人々が直接つながり、都市としての魅力が最大化される土台にもなる。 ショッピングモール設計の最近の傾向が、道を“やや狭く”作るのもまさにこのような点を反映している。 都市の魅力という側面では、広い通りが必ずしも良いわけではない。 都市には二面性がある。
さらに、1937年に朝鮮土地経営株式会社の社屋として使われた建物と、1969年当時には先端のモダニズムとして正面の窓に装飾モールがついた建物が立ち並んでいるという点が“ノスタルジア”を刺激する。伝統の都市風景を眺めて過去と現在を重ね合わせる経験ができる所はソウルに多くない。
聖公会聖堂前の旧国税庁ビルが取り壊され、聖堂が太平路(テピョンノ)から直接見られるようになり、私たちは「近代ソウルのイメージが一つ追加された」と喜んだ。 そのわずか数カ月後に近代ソウルのイメージを一つ失うことになったわけだ。
2013年3月、世界的な建築家リカルド・レゴレッタが済州島(チェジュド)に遺した作品「カーサ デル アクア」(ギャラリー)もプロングループのホテル開発で取り壊されてしまった。 韓国社会と共生していくべき大企業として、プヨンの姿勢は残念でならない。