原文入力:2009-07-02午後11:12:34
市民団体‘文化ウリ’会員など20人
再開発控えた北阿峴洞 路地踏査
“こんなに美しいところがなくなるとは…”
↑ 数多くの人々の記憶を大切に保ってきたソウル,西大門区,北阿峴洞の町内と路地がニュータウン事業により来る2011年に消える。クムファアパートの坂道で出会った壁画の描かれた階段、背の低い韓屋らが仲良く並んだ路地、毛細血管のように家と家とをつなぐ細い道(左側から). キム・ギョンウク記者dash@hani.co.kr
蒸し暑くべたつく日だった。コンクリートの路面は真夏の熱気を吹きだし、木陰のでは町内の犬たちが横たわり舌を出して息をしていた。去る27日午後4時30分、再開発で消える危機に貧したソウル,西大門区,北阿峴洞には6月の日差しが熱く落ちていた。
この日、忠正路郵便局前には北阿峴洞路地踏査のために集まった人々で込み合っていた。踏査は市民団体‘文化ウリ’が用意したもので、消えゆく路地に対する記憶と思い出を分かち合おうとする市民20人余りが参加した。解説は住民ハン・ジウォン(40)氏が引き受けた。市民20人余りは無線イヤホンを耳につけ、ハン氏の説明を聞きながら自由に踏査を始めた。
西大門宣教センターをすぎ、京畿大学通りに入ると小さな路地があちこちに伸びていた。ハン氏について階段でつながった路地に入ると懐かしい風景が繰り広げられた。2人がやっとすれ違える程度の路地に沿って左右に1950~1960年代に建てられた背の低い韓屋が仲良くたたずんでいた。たとえ韓屋は古くてよじれていても住民チェ・ヨンス(50)氏は「夏でもエアコンなしで過ごせる韓屋がアパートより情緒があって良い」と話した。
路地を抜けてクムファジャン5道を通り村のてっぺんに向かった。平地ではない丘に家々ができたので家の門につけられた階段が高くはるかだった。階段は幅も高さも一定ではなかった。一部の階段には壁画が描かれていて行く人の足を立ち止らせた。
村の頂上に着くと、巨大な体つきのクムファアパートが村を飲み込むように高く聳え立っていた。このアパートは1968年‘元祖ブルドーザー’キム・ヒョンオク ソウル市長が建てたもので、40年の歳月をそっくり担った様子だった。所々にひびが入りつぶれていたが、アパートの前庭に立つとソウル市内が一望できた。ハン・ジウォン氏は「この間この町内の住民皆がこのように良い風景を何の代価も払わずに享受できたが、再開発が終わればこの風景はいわゆる‘持てる’人々だけのものになるのではないかと心配になる」と話した。
村のてっぺんのクムファアパートから京畿大学通りに降りてくる途中は迷路のような路地が続き、踏査に参加した市民が感嘆の声を上げた。こちらの家々は皆それぞれの姿ででこぼこしていたが、路地はその家々の間をぐにゃぐにゃと通り毛細血管のように村中を繋いでいた。踏査に参加したイ・スンミン(23)氏は「踏査に参加する前まで開発はみな良いことだと思っていたが、このように美しい村が消えることは本当に惜しい」として「開発をしても昔のものと共存できる方法を考えて欲しい」と話した。
北阿峴洞170番地一帯は2005年にニュータウン開発地区に指定され2009年現在、組合設立手続きを終えた状態だ。2011年までに撤去が完了し2015年には工事が終わる予定だ。
キム・ギョンウク記者dash@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/area/363736.html 訳J.S