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韓国最高裁、朴正煕政権下の「東亜日報」記者大量解雇で歴史に逆行する判決

登録:2015-05-30 01:46 修正:2015-05-30 08:08
過去事委決定を覆し「政権の圧力とは見られない」
1974年10月、維新体制に対抗して言論の自由のための宣言を発表した後に解職された東亜日報と東亜放送記者、プロデューサー、アナウンサーによる「東亜自由言論守護闘争委員会」委員がソウル・光化門の東亜日報社からキリスト教会館に向け行進している=東亜闘委提供//ハンギョレ新聞社

「政権の要求に屈服した証拠は不充分」
朴正煕政権の不法行為に免罪符
東亜闘争委「万人の常識を覆す」反発
国家損害賠償訴訟に影響を与える見込み

 大法院(最高裁)が朴正煕(パク・チョンヒ)政権時代の東亜日報記者大量解雇の事態に対し、「政権の圧力を受けて記者たちを解雇した」という過去事委員会の決定を証拠不十分を理由に取り消した。“証拠主義”を前面に掲げて歴史的・常識的判断と評価を否認したもので、現政権になって過去事被害者が出した訴訟で朴正煕政権の不法行為に相次いで免罪符を与えたことと軌を一にする判決だ。

 大法院3部(主審ミン・イルヨン大法院判事)は29日、東亜日報が行政自治部を相手に真実・和解のための過去事整理委員会の決定を一部取り消しを求めた訴訟で、原告勝訴判決した原審を確定した。 裁判所は「過去事委が調査過程で意見提出機会を提供したという資料がない点を見れば、東亜日報に手続き的権利を保障しておらず、政権の要求に屈服して記者たちを解職したという因果関係も十分に明らかになっていない」と述べた。

 中央情報部は1974年12月、企業らに圧力を加え東亜日報との広告契約を取り消させ、この余波で白紙広告が載せられた。東亜日報は翌年3月、経営悪化を理由に記者18人を解雇した。 記者たちは「会社が政権に屈服した」として座り込み、116人が追加解任されたり無期停職に処された。

 過去事委は2008年10月「朴正煕政権が公権力を行使して言論弾圧をしたので、国家は被害者に謝罪し被害の回復に乗り出さなければならない」として、真実糾明決定を下した。 東亜日報にも「維新政権の要求に屈服して、言論の自由守護活動をした記者たちを解雇したことに対して謝罪せよ」と勧告した。 東亜日報はこれに従わず、2009年3月に真実糾明決定取り消し訴訟を起こした。

 この訴訟は当初、裁判所の審判対象ではないという理由で却下されたが、大法院が「訴訟対象になる」と判断して裁判が始まった。 これまで2013年5月に「過去事委の調査報告書内容をそのまま受け入れてはならない」という趣旨の大法院全員合議体判決が下された。1・2審は「過去事委は具体的証拠に基づくのではなく、当時の時代的状況ないしは歴史的流れなどによる推測ないし推論に基づいて判断を下したと見られる」と東亜日報の手を挙げた。 過去事委は当時、イ・ドンウク主筆が「1次解任が広告弾圧のためになされた」という趣旨で発言した点▽イ・ファンヒ文化放送(MBC)社長が国際言論人協会総会で東亜日報事態と関連して当局と東亜日報社が接触していると演説した点▽広告弾圧事件を指揮した中央情報部職員が、1次解任以後に東亜日報側と接触した事実を根拠に挙げた。 だが、1・2審は1次解任前に東亜日報が中央情報部職員と接触した証拠はなく、イ・ファンヒ社長の発言には具体性が欠け、イ主筆の発言も別の意味に解釈される余地があると判断した。

 判決に対してキム・ジョンチョル東亜自由言論守護闘争委員会委員長は「過去事委の専門調査官が2年間にわたり調査・収集した証拠は、単純な状況証拠とは言えない。当時数十万人が激励募金をして種々の外信が報道した内容が全て証拠だ。 東亜日報が政権に屈服して言論人を解職させたことは、40年間続いた万人の常識だ。 朴槿恵(パク・クネ)政権になって司法府が朴正煕時代に対する評価を覆している」と語った。

 今回の訴訟は6年ぶりに終えられたが、東亜日報解職記者14人が国家を相手に出した損害賠償訴訟は進行中だ。 今回の判決はこれにも影響を与えるものと見られる。

 一方、裁判所は朝鮮日報元社長のパン・ウンモと、東亜日報の設立者キム・ソンスを「親日反民族行為者」と決めた親日反民族行為真相究明委員会の決定を不服とし両新聞社側が出した訴訟を5年以上引きのばしている。

イ・ギョンミ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/693494.html 韓国語原文入力:2015-05-29 20:47
訳J.S(1770字)

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