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放置された龍山惨事…政府, 遺族と対話一度もせず

原文入力:2009-06-17午後07:05:52
龍山惨事 150日 “鎮圧作戦適法” 繰り返し 5ヶ月 無策傍観
‘行政案全部 対話企図’ 大統領府が出て遮断
“5人 無実の命を奪い取っても疎通どころか職務遺棄”

キル・ユンヒョン記者

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生存権を要求して望楼に上がった撤去民5人の命を奪い取った‘龍山惨事’が18日で150日目をむかえる。去る5ヶ月間、龍山惨事の ‘円満な解決’ は私たちの社会の話題であった。市民・社会団体らは惨事直後 ‘龍山惨事汎国民対策委員会’(龍山汎国民対策委)を設け遺族支援に出たし、民主社会のための弁護士の集い(民主弁護士会)等の弁護士は検察が非公開にした捜査記録3千余ページを巡って激しい攻防を進行中であり、聖職者たちは道路でミサ・法会・祈祷会を開いたし、市民らはロウソクのあかりを掲げた。
しかし相変らず事態解決の兆候は見られず、5人の遺体はソウル,龍山区,漢南洞の順天郷大病院安置室の冷凍庫中に ‘閉じ込められて’ いる。

去る3月末から惨事現場で ‘街頭ミサ’ を開いているムン・ジョンヒョン神父は「イ・ミョンバク政府は龍山遺族たちの泣き叫ぶ声に耳を閉じこの問題を放置している」として「これは政府の無能であり途方もない職務遺棄」と話した。

イ・ミョンバク政府は惨事以後17日まで龍山汎国民対策委や遺族代表らとただの一度も公式的な対話の席を持たなかった。警察の特攻隊投入決定と以後に進行された鎮圧作戦が ‘適法な法執行だった’ という言葉だけを繰り返している。去る4月末、行政安全部と警察情報ラインを中心に龍山問題を解決するための動きがあったが、「対話は責任を認めること」という大統領府の反対で中断されたことが明らかになった。

政府のこういう態度は参加政府の姿とも距離が遠い。2005~2006年市民・社会陣営が平沢米軍基地拡張反対運動で政府と激烈に対立した時も、当時の国務総理室・国防部の ‘公式ライン’ はもちろん大統領府市民社会首席・民政首席などの ‘非公式ライン’ が住民対策委などと数多くの対話をやり取りした。キム・ジョンイル ‘平和と統一を開く人々’(平和統一会)事務局長は「当時、ハン・ミョンスク国務総理は住民たちに侮辱を受けながらも平沢を訪ねたし対国民談話も発表した」と話した。

事態が解決されず龍山問題はイ・ミョンバク政府の国政運営基調を象徴する事件となった。

キム・ミニョン参加連帯事務局長は「龍山で亡くなった人々は生存権を要求した平凡な庶民であったという事実を多くの国民がよく知っている」と話した。龍山撤去民らの痛みの中に非正規職労働者,解雇された双龍自動車労働者,貨物連帯ストライキを産んだ特殊雇用職労働者らの痛みが投影されるということだ。そのために去る3日の時局宣言の火種となったソウル大教授たちは龍山問題解決を時局宣言の冒頭に挙げた。

だが今後政府が ‘誠意ある代案’ を出せるかに対しては懐疑的な視線が多い。ホン・ソンテ尚志大教授(社会学)は「イ・ミョンバク政権が ‘法と原則’ だけを強調し龍山問題に耳を閉じていることは、この政権が代弁する社会富裕層の利害と合致するため」と話した。

警察情報ラインのある関係者は「龍山のような社会的葛藤を解決しようとするには名分やお金の二つに一つはあきらめなければならない」として「この政府は両方とも譲歩しない」と話した。イ・ミョンバク政府が ‘正当な法執行’ と主張して名分を選んだとすれば、撤去民と遺族たちには賠・補償と生計対策など誠意ある措置を取らなければならないということだ。

龍山汎国民対策委は18日午後、惨事現場で ‘龍山惨事 5ヶ月,汎国民追慕大会および文化祭’ を開くことにした。

パク・ネグン龍山汎国民対策委共同執行委員長は「龍山問題解決はノ・ムヒョン大統領逝去政局以後、イ政権の国政基調変化を計る試金石になる」として「これまでの姿は家族を失った撤去民たちが疲れて落ちることだけを待っているかのようだ」と話した。

キル・ユンヒョン記者charisma@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/360950.html 訳J.S