朝鮮時代にソウルの北側を守った北漢山城(プッカンサンソン・史跡162号)から高麗時代に築かれた城壁が初めて姿を現した。 京畿(キョンギ)文化財団傘下の京畿文化研究院(院長 チョ・ユジョン)が最近、京畿道高陽市(コヤンシ)の大西門(テソムン)~水門、扶王洞暗門区間の北漢山城城壁を切開して発掘・調査した結果だ。 研究院側は城壁の下から高麗前期・中期の石積み技法を示す古い城壁を確認したと30日明らかにした。
研究院側はこの古い城壁を史書の記録のみで伝えられてきた高麗時代の中興山城の城壁と見ている。 司書の記録を見れば、北漢山城は1世紀の百済ケロ王の時に初めて積まれ、高麗時代に何度も増改築を経たという記録が伝えられている。 しかし、現在見えている城郭は全て18世紀初めに朝鮮粛宗の時代に城を最終的に完成し積んだものなどで、百済、高麗時代の城郭は実体が確認されていなかった。
更に今回の調査では山城の中の143ヶ所に設置されたと<北漢誌>に記録されている小屋構造の朝鮮時代の警備哨所(城廊)跡4ヶ所と巡察路(廻郭路)跡も見つかり、城郭復元のための基礎資料を確保した。 研究院側は31日午前9時30分から現場説明会を開く予定と明らかにした。
文 ノ・ヒョンソク記者 nuge@hani.co.kr、写真 京畿文化研究院提供