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[ハンギョレ プリズム] なぜ無償バスだったのだろうか? /ハン・グィヨン

登録:2014-04-02 17:16 修正:2014-04-03 13:12
ハン・グィヨン ハンギョレ社会政策研究所研究委員

 一ヶ月前、ソウルを離れて坡州(パジュ)に引越した。 安い住居費用、快適な環境を考慮した選択だったが、一日3~4時間を耐えなければならないソウルへの出退勤はとても疲れた。 弱り目にたたり目で、引っ越して数日目に、坡州のあるバス会社が赤字路線の運行を中断した。 ソウルに来る広域バス3路線のうちの2路線の運行が中断されて、それでなくとも大変な出退勤時には一層疲れることになった。 バス会社は累積赤字にこれ以上耐えられないと言うが、坡州市は税金で毎年140億ウォンも支援している。 それでも市民の出退勤時は、なぜこうまで大変で不便なのだろうか?

 そこでバスの公共性のための政策が主要イシューに浮上した時、京畿(キョンギ)道民のひとりとして、うれしくもあり、また切実だった。 火種はバス公営制を前面に掲げたウォン・ヘヨン議員が点火したが、燃え始めたのはキム・サンゴン前教育長の無償バス公約発表以後だ。 ところが、そこまでだった。 無償給食の後を担う勝利のアジェンダにならないだろうかという期待とは裏腹に、無償バスは右からは無料バスという非難、左からはバスの公共性を価格論争に転落させたという批判に苦しめられた。

 大胆な政治的想像力と企画を百分認めても、キム・サンゴン前教育長の無償バス公約は無謀だったという批判を免れ難い。 彼はなぜ無償バスを前面に掲げたのだろうか? おそらく後発走者としてバス公営制と差別化するために、さらに強力な公約、メッセージが必要だったのだろう。 その上、無償給食を成功させたという自信もあっただろう。 無償サービスなど普遍福祉の拡大を自身の政治的ブランドとしたかったのだろう。 ついでに大衆を説得するためには、誰もが直観的に理解できるアジェンダを前面に出さなければならないという政治的感覚も作用しただろう。

 事実、バス公営制はなじみがうすい。 いくら重要でも大衆が直観的に理解できるアジェンダでなければ共感は得難い。 この間、民主進歩陣営が提示したアジェンダが概してそうだった。 これに反して、保守陣営のアジェンダは理解しやすい。 去る大統領選挙で文在寅(ムン・ジェイン)候補が提起した‘基礎老齢年金2倍引き上げ’より、朴槿恵(パク・クネ)候補の‘65才以上すべての老人に月20万ウォン支給’の方がはるかに明瞭だった。 少なくとも無償バス公約にはこのような苦悩の跡が含まれているという点で評価に値する。

 だが、準備も不足していたし性急でもあった。 まだ韓国社会で無償とは、経済力に関係なく市民が享受しなければならない福祉であり当然な社会的権利とは認識されていない。 税金負担も無償サービスに対する拒否感の一助となっている。

 もちろん無償公約が大衆の心をひきつけた経験はある。 2010年地方選挙を控えて無償給食は普遍福祉時代を切り拓く話題として浮上した。 だが見逃してはならない事実がある。 無償給食自体に対しては、その当時も反対世論が多かったという点だ。 ただしオ・セフン前ソウル市長の偏狭で非合理的な対応が大衆の反感を刺激して、無償給食擁護が大勢になったのである。

 無償サービス、より良い社会に対する大胆な想像力の発露かも知れない。 だが、政治は大衆世論の微細な肌理を考慮して動かなければならない技芸に近い。 今まさに動き始めたバス公営化と無償バス アジェンダ、無償給食のように一気に大衆の視線をぎゅっとつかもうとするより、淡々として馬鹿正直に大衆と呼吸しながら一歩ずつ出て行ってはどうだろうか? そうした点で無償バスではなく公共バスに変えればどうだろうか? いや他の名前でも良い。 とにかく公共バスという素朴な火種を少しずつ咲かせ、その火種が社会諸分野の公共性拡散につながり、普遍福祉につながれるようにすべきではないだろうか?

ハン・グィヨン ハンギョレ社会政策研究所研究委員 hgy4215@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/630776.html 韓国語原文入力:2014/04/01 19:06
訳J.S(1784字)

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