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金剛山(クムガンサン)も泣いた

登録:2014-02-20 23:59 修正:2014-02-21 03:41
60余年ぶり離散家族対面 初日
血縁者を抱きしめて涙の海
"何としても息子と娘に会わなければ"
南北離散家族対面行事が開かれた20日午後、北韓の金剛山(クムガンサン)ホテルでパク・ヤンゴン氏(右)が1970年代に西海上で操業中に北に拉致された兄パク・ヤンス氏に初めて‘団体対面’日程で会い、互いの顔を抱き合って泣いている。 この日開かれた第19次対面行事は、2010年11月以来3年4ヶ月ぶりに開かれたものだ。 金剛山/写真共同取材団

 離散家族対面の前日である19日、移動式ベッドに横たわったまま集結地の束草(ソクチョ)ハンファ コンドに入り、周囲を泣かせたキム・ソムギョム(91)ハラボジ(おじいさん)が結局、夢にも忘れられなかった北側にいる息子ジンチョン(66)氏と娘チュンスン(67)氏に会った。 しかし今日も気力を回復できず担架にのせられて‘救急車対面’をしなければならず、これを見守る人々は胸を痛めた。

 北側は当初、救急車対面は南北間で合意した内容ではないとし、受け入れなかった。 大韓赤十字社関係者は「北側は取材陣が駆け寄って来ると、年配の方の健康に異常が生じたらどうするんだ」として「医師がこの二人を部屋で会うようにしようと言っても救急装備がなく責任を負えないという立場だった」と話した。 しかし北側も、キム ハラボジの切なる希望をついには無視できず、言論非公開を条件に対面を受け入れた。

 前日、キム ハラボジは束草のハンファ コンドにも救急車に乗せられて来た。当時キム ハラボジは顔色が青白く口を開いたままぼんやりした表情で何の話もできず横になったままだった。 目は開いていたが意識が鮮明ではないように見えて、果たして金剛山対面行事に参加できるか不透明だった。 だが、キム ハラボジは医療スタッフの憂慮にも関わらず 「今回が最後かも知れないので何としてでも会う」と強い意志を見せたという。

 咸北(ハムブク)出身のホン・シンジャ(83)ハルモニ(おばあさん)も気力が落ちて狭い救急車で北側にいる妹ヨンオク(82)氏と甥のハン・クァンニョン(45)氏などと60年余に及ぶ古い恨をついに解いた。 誰もがホン ハルモニの 「60年余り待って訪ねてきた出会いなのに、どうしてあきらめられるか」という一生の願いを断つことはできなかった。 数人の高齢離散家族も車椅子で移動する困難に耐え、また一部はとても悲しい家族対面をして激しい感情に勝てずに疲れきった。 南側関係者は「離散家族の大部分が高齢なので、過去にもこのようなケースがたびたびあった」として「皆亡くなる前に家族に必ず会わなければとの意志があまりにも強い」と語った。

 南北離散家族が20日、金剛山で3年4ヶ月ぶりに再び対面した。 前日、江原道(カンウォンド)束草(ソクチョ)に集まり一夜を過ごした南側離散家族82人とその同伴家族58人はこの日金剛山に入り、北側にいる家族178人と60年余ぶりに感激的な対面をした。この日の対面には北により拉致された人の家族4人も含まれた。 1972年12月、西海上でエイ漁をしている際に北へ拉致された‘五大洋号’船員家族のパク・ヤンゴン(52)氏と74年に北に拉致された漁船‘水原(スウォン)33号’の船員家族チェ・ソンドゥク(71)氏など戦後の北韓拉致被害者家族、6・25時に義勇軍として北に拉致されたチェ・ビョングァン(67)氏など戦時に北に拉致された人の家族が北からきた兄弟姉妹に会った。

 これら1次対面団は午後1時頃、金剛山ホテルに到着し、3時頃に団体対面で初の遭遇の喜びを享受し、午後7時からは北側が主催した歓迎晩餐に参加した。

 続いて21日には個別対面に続き、団体室内対面をした後に22日のお別れ対面を最後に別れることになる。 2泊3日の間に6回、計11時間の出会いを行い、再び次の約束がない長い離別の現実に戻ることになる。 23~25日には2次対面行事が開かれ、今度は北側対面者88人が南側家族361人に会う。

金剛山/共同取材団、パク・ビョンス先任記者 suh@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/625195.html 韓国語原文入力:2014/02/20 22:39
訳J.S(1809字)

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