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稀少病 2人の息子 介護20年、母親は耐えられず…

登録:2013-02-06 08:21 修正:2013-02-06 21:14
22才・19才の兄弟を残して命を絶つ
身体・知能の成長を阻害する‘ムコ多糖症’で
2人の息子は両親の助けなしには全く身動きができず
夫までケガをして基礎生活受給費で生活
‘ムコ多糖症’(MPS)という稀少難治疾患の症状

 去る2日、チョン・ソンオク(仮名・49)氏は自ら命を絶った。 自宅のトイレで首をくくった。 チョン氏は二人の息子を残した。 チョン氏の葬儀が行われた4日、2人の息子たちは5坪余りの部屋で横になっていた。

 1人は内側に曲がって固まってしまった手足をバタバタしていた。 もう1人は "ウウウウム" とうめき声を発していた。 体重20㎏にもならない兄弟はせいぜい7才程度に見えた。 2人の兄弟の実年齢はそれぞれ22才と19才だ。

 兄弟は‘ムコ多糖症’(MPS)という稀少難治疾患を病んでいる。 からだにたまる異質物を分解する酵素が少なく、身体各機関の成長が止まり本来の機能が出来ない病気だ。 からだはもちろん知能も育たない。 兄弟は話をすることも聞くこともできない。 助けなしには座ることも立ち上がることもできない。 20才内外の兄弟はこの日もおむつを着けて横たわっていた。

 "風邪でも引けば痛いと泣き叫ぶけれど、どこが痛いのかを言えないから…。 そういう時は胸が張り裂けそうです。" 父親ユ・ジヒョン(仮名・51)氏は首をうな垂れた。

 2人の息子はそれぞれ2才の頃 "ママ、パパ" という言葉を初めて発した。 それが最後の言葉になった。 2人の息子はその後理解できない‘声’ばかりを発している。 2人の息子はヨチヨチ歩きもした。 だが、2人の息子が踏んでみた地面は広くなかった。 他の子供たちが小学校に入学する頃、2人の息子は床に寝付いてしまった。 以後、今までソウルのある賃貸アパートの狭い部屋で暮らした。 母親のチョン氏はそのような2人の息子を介護しながら去る20年余りを生きてきた。

 チョン氏は2人の息子のからだを起こし車椅子に座らせて、一週間に一回ずつ病院に通った。 2人の息子はソウル江南区(カンナムグ)逸院洞(イルォンドン)にあるムコ多糖症専門病院で4時間かけて酵素注射を打った。 病院に通いながらも病気が治るという希望は抱けなかった。 酵素を注射で注入して、今以上に状態が悪化するのを遅らせるだけだった。

 チョン氏は2人の息子に食事を掬っては食べさせた。 2人の息子にはストローを吸う力もなかった。 チョン氏は液体状の‘メディフード’を2人の息子の口を開けていちいち掬って食べさせた。

 "子供たちを世話しなければならないので、かろうじて生き延びているけれど、耐えるにはあまりに荷が重い。" 妻が口癖のように言っていた言葉を夫のユ氏は覚えている。 ユ氏は2年前から働けずにいる。 バイクに乗って配達する‘クィックサービス’をして金を稼いでいたが、交通事故で足を怪我して止めた。 2人の息子を世話するのにチョン氏は仕事に出て行くこともできなかった。 月額76万ウォン程度の基礎生活受給費が4人家族の生活費のすべてであった。

 遺書は発見されなかった。 警察関係者は「チョン氏が重症障害者の子供を世話するのに疲れきり自ら命を絶ったと見られる」と話した。

 "ムコ多糖症を患っている子供を持った両親たちは、たいてい同じような頸木を背負って生きています。 このような家庭がこわれないよう社会の支援がどうしても必要です。" ホン・ヘスク ムコ多糖症患友会長が話した。 国内のムコ多糖症患者は概略120人と推定される。

キム・キュナム記者 3strings@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/572904.html 韓国語原文入力:2013/02/05 22:36
訳J.S(1597字)