原文入力:2012/08/29 21:37(2722字)
←チャン・ジュナ先生が亡くなった頃に随行秘書だったパク・セジョン氏が、去る26日ソウル、麻浦区(マポグ)の自宅で関連資料などを見せながら‘チャン先生の遺骨傷痕が37年ぶりに明らかになっただけに他殺疑惑を今回必ず解明しなければならない’と話している。 キム・テヒョン記者 xogud555@hani.co.kr
警護秘書パク・セジョン氏が胸にしまっておいた話
"1975年、亡くなる直前チャン・ジュナ先生は朴正熙維新政権をぶち壊すある種の挙事を準備していて、それに感づいた中央情報部(中情)要員は‘チャン・ジュナのようなアカは殺さなければならない’と意気込んでいました。 随行秘書であった私を40日余り拷問してスパイ団事件をでっちあげようとしたんです。 維新政権とのきっ抗した緊張の中でチャン先生は登山途中に被害に遭うのです。"
1975年8月17日京畿道(キョンギド)抱川郡(ポチョングン)の薬師峰でチャン・ジュナ先生が疑問死するまで3年近く随行秘書として警護に従事したパク・セジョン(72)氏は「チャン先生は墜落死したのではなく他殺されたことが明らかだ」と話した。 拷問の後遺症で満身瘡痍になったパク氏は去る26日ソウル、麻浦区(マポグ)の8坪の賃貸住宅で<ハンギョレ>記者と会い、37年間胸にしまっておいた話を打ち明けた。
中情、私を南派スパイに追い込み
チャン先生を抱き込んだという脚本を作り上げ
地獄のような拷問の末に性不具者になった
チャン先生、ハム・ソッコン・金大中と接触
維新体制を倒すため挙事準備
米軍 諜報隊の訓練を受けたチャン先生
ザイルなしでそこから墜落 話にならない
-墜落死でないと確信する理由は何か?
"チャン先生は米軍戦略諜報隊(OSS)の特殊訓練を受けたことがある山岳専門家だ。 そのような人がザイルなしでは接近すら不可能な75度の急な絶壁から墜落したと言えばどこの誰が信じるか。 私が中情で拷問されて済州道(チェジュド)で療養していた隙を彼らが狙ったようだ。 チャン先生は目撃者キム・ヨンファン氏の無理な勧めで登山について行ったことが明らかだ。 1993年民主党による調査の時、キム氏が‘中情の私設情報部員’という中情職員の証言が出てきたのに、あいまいにやりすごされた。 今回遺骨から明白な他殺の証拠が出てきたにも拘らず、真相究明ができなければ永久に未解決事件になる可能性が高い。"
-亡くなる頃、チャン先生はどんな政治的活動をしていたか?
"先生は1974年‘民主回復のための改憲請願100万人署名運動’を主導して緊急措置違反容疑で1年間の獄苦を体験した後、その年末に刑の執行停止で解放された。 以後、先生は‘通常の方法では朴政権を倒し難い。 非常な決断が必要だ’としばしば話した。 亡くなる直前に在野の元老ハム・ソッコン先生、往来が途絶えていた金大中前大統領にひそかに会った。 75年7月末には光州(クァンジュ)広域市のホン・ナムスン弁護士に密旨を伝達した。 朴政権に決定的致命打を加えるある種の挙事を準備していた。
当時、中央情報部は‘チャン・ジュナを徹底的に監視・追跡し報告せよ’と要員に指示して‘チャン・ジュナ1日報告’を作成して行跡を追跡した。 73年に私をスパイにでっち上げ拷問を行った中情捜査官も口を開けば‘チャン・ジュナのようなアカは殺さなければならない’と喚いていた。 どんな形であれ、先生を殺しそうだった。"
-どんな理由で中央情報部に引きずられて行き拷問されたのか?
“中情要員は73年2月総選挙の時、チャン先生が出馬したソウル、東大門(トンデムン)乙選挙区で不正選挙に強く抗議した私を狙った。 随行秘書であった私をスパイに追い立てて、朴正熙政権が永久執権の最も大きな障害物であり妨害物であったチャン先生までをスパイにでっちあげようとして作り上げた‘脚本’だったと考える。
彼らは私の親戚のパルチザン経歴を口実にして‘大物南派スパイ’容疑を着せて、巨額の懸賞金をつけて逮捕作戦を行った。 結局その年の秋に捕まって地獄のような拷問にあった。
40日間独房に閉じ込められ‘拷問技術者’から膝間接外し、逆吊るし、5日間眠らせないなど種々の拷問を受けた。 彼らは私を‘北で金日成親子に3度会い、高等秘密教育を受け、江原道(カンウォンド)、東海岸の島を拠点に浸透しチャン・ジュナ先生に巨額の工作資金を渡し各界各層を抱き込んで国家転覆の陰謀をたくらんだ’という脚本の主人公にしようとした。 協力すれば出世もさせてやるし、金持ちにもしてやると懐柔した。 断食して抵抗するとすぐに拷問技術者が大切な場所を台尻で打ち性不具者にされた。”
-チャン先生とはどのようにして縁を結ぶことになったか?
“ハム・ソッコン先生のシアル農場で仕事をしている間の72年にハム先生のソウル、元暁路(ウォニョロ)の自宅でチャン先生に初めて会った。 73年2・27総選挙を控えてハム先生の勧めでチャン先生の警護を引き受けることになった。 報酬も受け取らずに仕事をする私に、チャン先生は米袋を渡してくれたりした。
ソウル、東大門(トンデムン)乙区の総選挙キャンプに合流してイ・ブヨン、キム・ドヨン氏らと共に選挙参観人として開票を監視した。 ソウル大師範大で開票が始まり、チャン先生が圧倒的1位だったが、突然参観人を追い出した後で与党候補に票が集中した。 参観人だった私は開票を中断させて抗議して情報機関に連行された。 国家元首冒とく罪、公務執行妨害罪などで無慈悲な暴行を受けた。 急遽駆け付けたチャン先生が情報要員を叱り飛ばした。 ‘朴正熙チンピラ集団の不正選挙陰謀を知っていながら選挙戦に飛び込んだ私が誤った。 明確に私が勝った選挙だが、放棄して帰るから何の罪もない参観人を直ちに解放しろ。’なんでもない青年の人権のために未練なく国会議員職を放棄した巨人の風貌が今も鮮やかだ。”
パク・セジョン氏はホン・ナムスン弁護士、イ・ヘハク、ムン・デゴル牧師などの証言に力づけられて2002年3月民主化運動関連者名誉回復および補償審議委員会で‘民主化運動関連者’と認められた。
パク・ギョンマン記者 mania@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/549330.html 訳J.S