原文入力:2012/05/04 21:26(1198字)
←ソウル、麻浦区(マポグ)、城山洞(ソンサンドン)‘戦争と女性人権博物館’の開館を翌日に控えた4日午後、2階の慰安婦被害ハルモニの追慕空間に亡くなったハルモニの写真と名前が書かれたレンガが積み上げられている。 キム・テヒョン記者 xogud555@hani.co.kr
敷地選定などの論議に9年
日本軍慰安婦被害ハルモニの屈曲した歴史を記録した‘戦争と女性人権博物館’が9年にわたった市民社会の努力の末に5日開館する。
ソウル、麻浦区(マポグ)、城山洞(ソンサンドン)、ソンミ山の山裾の個人住宅を改造して作ったこの博物館は、延面積308㎡ 地下1階~地上2階で構成されている。地下から地上につながる階段の石壁には亡くなった慰安婦ハルモニの遺言が刻まれている。 「私達の子供たちは平和な世の中で暮らさなければなりません。」「私が生き残ったことが夢のようだ。夢と言っても余りに惨い悪夢だ。」博物館の随所に慰安婦被害の歴史を記録した写真・映像と証言資料が展示されている。
建設議論は2003年から始まった。「子孫が私たちの歴史を見て学び、私たちのように受難することがないようにして欲しい」という被害ハルモニの意が礎石になった。 挺身隊問題対策協議会(挺対協)は2004年‘戦争と女性人権博物館建設委員会’を発足させ募金活動を始めた。 幼い子供たちはお小遣を、女性労働者は給料の一部を寄付した。 修道女は修道女会が支給する生活基金を集めて拠出した。 日本のある教師は退職金の半分を寄付した。 米国・日本・オーストラリア・ドイツなどの国外同胞も声援を送った。 この間20万人が募金に参加して20億ウォンを作った。
敷地選定過程は困難だった。 2006年ソウル市から西大門(ソデムン)独立公園内の売店建物敷地に博物館を作って良いという許可を受けたが、光復会と大韓民国殉国烈士遺族会などは「殉国烈士を賛える場所に慰安婦博物館が入るのは格が合わない」という理由で反対した。 ソウル市は残った行政手続きを先送りし、事業は遅滞した。 その間に被害ハルモニたちは一人二人と亡くなった。 一日も早く博物館を作ることが重要だと考えて別の場所を物色し、結局ソンミ山の山裾に開館する事になった。
ユン・ミヒャン挺対協常任代表は「慰安婦ハルモニが子供たちに平和の空間を贈るという意味で5月5日に開館する」として「未だ終わらない日本軍慰安婦問題を解決する過程に博物館が重要な役割を果たせることを期待する」と語った。
イ・ギョンミ記者 kmlee@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/531363.html 訳J.S