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"そうです、私は余剰です" ある青年失業者の一人立ち

原文入力:2012/02/09 00:03(2208字)

←<月刊余剰>編集長チェ・ソユン氏が8日午後、ソウル、明洞(ミョンドン)の路上で創刊号を持って立っている。 キム・ジョンヒョ記者 hyopd@hani.co.kr

1人雑誌‘月刊余剰’を作った25才
報道機関就職失敗で落ち込み
‘余剰’たちのための雑誌創刊
アルバイトで稼いだ金 62万ウォンをはたき
一人で編集 300部 無料配布

 <文化放送>(MBC)シチュエーションコメディ‘ハイキック! 短足の逆襲’の主人公ペク・ジンヒの姿は20~30代の不憫な現実を反映している。 数百回の面接の末に仕事場を見つけた彼女は、山と積もった学資金借金のせいで月給通帳の残高は常にギリギリだ。 既成世代はこのように競争に敗れ臆して小心な若者たちを(恋愛・結婚・出産の3つを放棄した) ‘三放世代’、‘88万ウォン世代’と呼び同情する。 だが、当事者である若年層はこういう言葉より‘余剰’という単語を好んで使う。

 そのような‘落伍した若者’、‘余剰’の話を扱った雑誌が登場した。去る1日に初めて出た雑誌<月刊余剰>だ。 一人で雑誌を出したチェ・ソユン(25)氏も自らを‘余剰’と呼ぶ就職失敗・放棄者だ。 ソウルの4年制大学で経営学を専攻した彼女は記者を夢見て去る2年間10ヶ所を超える報道機関の門を叩いたが、誰も彼女を受け入れなかった。 したい仕事のために熱心に競争したが、夢とは異なりいつのまにか大学を卒業した‘青年失業者’になった。

 彼女はなぜこの雑誌を作ったのだろうか? 去る1日、ソウル、新村(シンチョン)で会ったチェ氏は「記者を夢見て考えていた文を書く仕事をしたかったし、雑誌を読む他の‘余剰’たちに少しでも慰労と笑いを与えたかった」と語った。「私が最も上手くできることを考えてみたら、自分の話だったんですよ。 また、周辺から‘余剰’と冷やかされ指差される人たちが雑誌を読んで 'あっ、自分一人だけじゃないんだ’と思ってくれたらと考えて作りました。」

 実際、雑誌の中の話はお金がなくて希望もない自分たちの現実を自嘲しているが、愉快さも失っていない。‘余剰’という単語を選択したのも、殺伐とした競争から押し出された自らを低め、時にはユーモア素材にまで戯画化できるためだ。 50ページ余りの雑誌は競争で苦杯をなめた‘余剰’たちの目の高さに合わせた。 金はないが時間は多い若者のための趣味生活推薦から余剰に好意的な政策を展開する政党はどこか、そして余剰のための金のかからないファッション提案など多様な分野にわたっている。

 "今回の号にインターネット等を通じて周辺の人100人余りに‘あなたが余剰であるのは誰のせいでしょうか?’と質問して応答を集めたアンケート調査を載せました。結果は回答者の75%が‘誰を恨もう、自分自身のせいだ’と答えました。この記事を見ながら青年失業者が恐らく‘アー、自分だけがそう思ってたわけではないね’という慰労を受けられるのではないでしょうか?"

 チェ氏は自らを‘剰集長’(余剰+編集長)と呼ぶ。 昨年末に雑誌創刊を決心した後、チェ氏はその間ブログに書いた自身の文と周辺の就職活動学生の知人、社会関係網サービス(SNS)から受け取った文・写真を集めてワードプロセッサーで直接編集して作った。チェ氏が直接絵を描いて、雑誌の表題は‘カリグラフィ’(手文字美術)専門家から才能寄付を受けた。印刷費は昨年半年間、補習学院(塾)のアルバイトで貯めたお金62万ウォンで充当した。本当はA4版で雑誌を出そうとしたが、お金が足りなくて雑誌の大きさは半分に減った。

 彼女は去る一週間、創刊号300部をソウル、新村(シンチョン)・弘大入口(ホンデイプク)・合井(ハプチョン)などのカフェに無料で配布した。だが、2号の製作費がなく困っている。ブログ(monthlyingyeo.com)で後援支援金と広告主を集めている。今後、就職ではなく雑誌だけに没頭したいというチェ氏は 「政界で余剰になった人物インタビューと余剰のセックスなど、今後したい話がたくさんある」と語った。「読まれるかどうか分からないが、国会議員会館の郵便受けにも雑誌を置きます。」

 事実、入試・就職失敗のほかには特別な苦労もなく生きてきたというチェ氏。 むしろ‘余剰’という単語を競争の逃避先としているのではないだろうか。 彼女の返事は雑誌の最期の頁に載せた‘剰集長’の編集後記にあった。 "青年たちに挑戦的でないと諭す既成世代がいる。暮らしの問題が担保されない状況でどうして挑戦と創意がありえるのかと反問したい…。その日の暮らしの問題が解決されなくて挑戦を夢見ることさえできない青年たちが夢を広げられる環境を国家が作ってもらいたい。"

キム・ソンファン記者 hwany@hani.co.kr

■余剰の辞典的な意味は‘全て使った残り’。インターネット ネチズンなどを中心に、競争から落伍し社会的に不要な存在や、使い途のないことをする人々を指し示す自嘲的な意で使われる‘インターネット隠語’だ。

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/518118.html 訳J.S