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‘鉄の神話’落つ

原文入力:2011/12/14 08:51(1102字)
バク・テウ記者、パク・ヒョン記者


パク・テジュン ポスコ名誉会長 逝去


←1973年初出銑の日、パク・テジュン ポスコ名誉会長(中央)が1973年6月9日我が国初の大型高炉である浦項(ポハン)製鉄第1高炉から溶けた鉄が出てきた後、役職員らと共に万歳を叫んでいる。パク会長は当時、表情が固まっている理由について「本当にうれしかったが、心の片隅ではこの溶けた鉄で本当に製品を作って売れるかが心配だった」と後日述懐したことがある。 ポスコ提供


  パク・テジュン ポスコ名誉会長が13日午後5時20分頃、急性肺疾患で死亡した。 享年84。

 パク名誉会長は先月11日、呼吸困難の症状でソウル延世(ヨンセ)大新村(シンチョン)セブランス病院で胸膜全肺切除手術を受けた後、去る5日から急性肺疾患が発生し集中治療室で治療を受けていたが、この日息をひきとった。 胸膜全肺切除手術は心臓、肺などを囲んでいる胸膜と繊維化が進んだ片方の肺を切除する手術だ。パク名誉会長は10年前に胸膜繊維腫が発見され米国で手術を受けたが最近数ヶ月は新たな後遺症に苦しめられていたことが分かった。パク名誉会長の葬儀室は新村セブランス病院葬儀場に用意された。 遺族側はパク名誉会長が「世界最強のポスコになってほしい」という遺言を残したと伝えた。


  パク名誉会長は‘産業の米’と呼ばれる鉄鋼産業を興し我が国産業化の基礎を作る上で輝かしい功績を立てたと評価される。彼は陸軍士官学校6期で、1961年5・16軍事クーデター以後に朴正熙国家再建最高会議議長秘書室長を経て1968年に浦項製鉄(現ポスコ)を設立した。続いて‘製鉄報国’を掲げ1973年6月に総合製鉄一貫工程を完工させ、1992年に経営一線から退くまで年産2100万tの生産能力を持つ世界的な製鉄所に育てた。


  しかし政治家としては栄誉と恥辱の歳月を送った。 彼は1980年に新軍部が主導した国保委立法会議に経済分科委員長として参加したのに続き、1981年11代全国区議員(民正党)として政界にも入門した。1993年文民政府スタート以後、金泳三前大統領との‘悪縁’で日本亡命の道を選んだこともある。1997年9月金大中当時国民会議総裁と‘DJP連合’を結成した後、自由民主連合総裁になり、金大中政府で国務総理を務めた。パク・テウ、パク・ヒョン記者 ehot@hani.co.kr


原文: https://www.hani.co.kr/arti/economy/economy_general/509957.html 訳J.S