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尹錫悦支持者と友人になれるだろうか【寄稿】

登録:2025-03-25 07:28 修正:2025-03-25 08:55
パク・クォニル|メディア社会学者
尹錫悦大統領がソウル拘置所から釈放された8日夕方、尹大統領の支持者たちがソウル市龍山区にある大統領官邸の入口近くで開かれた集会に参加し、太極旗と星条旗を振っている=キム・ヨンウォン記者//ハンギョレ新聞社

 尹錫悦(ユン・ソクヨル)支持者と友人になれるだろうか。これは、内乱犯と友人になろうという話ではない。尹錫悦一味には見せかけだけでも「改悛の情」は見られず、法廷の最高刑で手本を示すべきだ。しかし、彼らを支持した人たちは数百万人おり、私たちは彼らと同じ国でずっと生きていかなければならない。ここで言う「友人になる」とは、「親友」になれということではなく、最小限の信頼を共有する対話相手を意味する。

 「尹錫悦支持者」は一種の隠喩でもある。彼らは「私たち」とはまったく違う考え方で生きている存在、すなわち「他者」だ。他者には2種類ある。「抽象的他者」と「具体的他者」だ。抽象的他者は歓待の対象だが、具体的他者は忌まわしい存在だ。私は今、「具体的他者」と友人になれるかを問うている。2025年3月に私たちが目撃している類似内戦は、具体的他者を排除し、「私たち」だけの正義と部族的な真理だけを同語反復してきた結果だ。したがって、この問いは「私たち」だけでなく「彼ら」、すなわち「尹錫悦支持者」にも適用される。「あなたは尹錫悦大統領に反対する人と友人になれるか?」

 「他者」という言葉には、「歓待」という言葉がほとんど自動的に付いてくる。人類学者のキム・ヒョンギョンは、ジャック・デリダがかつて問題化した「絶対的な歓待」、すなわち、私的空間の無条件な開放が実現不可能であることを認める。それでも、「自分の存在を否認されている人々に『絶対的に』席を与えること、つまり社会の中に奪われることのない席/場所を準備すること」(『人、場所、歓待』)は必要かつ可能だと述べている。要するに歓待とは、他者の公的な席をまるごと保障することだ。

 ただし、「尹錫悦支持者」という他者は、「自分の存在を否認される人」、たとえば難民や移住民、性的マイノリティなどではない。むしろ、そのような弱者やマイノリティに対する歓待に反対する主流の市民に近い。一方、弱者やマイノリティに限定したとしても、存在を否認された他者の公的な席を「絶対的に」保障することは、単に法的・制度的条件を準備するだけに留まらない。それは、主流市民の日常では見慣れない形状・声・臭いが侵入してくる身体の経験だ。歓待という概念だけでは、このような他者の問題を適切に扱うことは難しい。このとき他者は、人類学者のジェームズ・ファーガソンの言う「現存」(presence)の問題になる。現存とは、簡単に言えば「ここに共にいる」、すなわち、他人と物理的に隣接する状態だ。現存は狩猟採集社会から存在してきた分配原理だ。それは、崇高な倫理的責務のようなものではなく、出勤途中の満員のバスや、「夜遅くに酒に酔って自宅に押しかけてきた弟分」が作り出した、仕方のない、しかし不便でいらいらさせられる共存に対する現実的な義務だ。

 現存の原理が持つ長所は、高潔な道徳を要求しないことだ。自分のスペースを譲歩したり、軽く目礼をしたりする理由は、ただその人がそこにいるからだ。歓待が倫理的決断だとすれば、現存は日常における少しの不便や苛立ちに耐えることに近い。しかし、その日常を一つひとつ積み上げていくこと、それを当然とみなす社会の雰囲気こそ、共存の近道だ。まさにそのような日常のもとで、とても友人になれそうにない人が友人になることが起きる。米国の黒人音楽家のダリル・デイヴィスは、30年間、白人優越主義のテロ組織「KKK」のメンバーに会って友人になり、彼と友人になった200人近くの人たちは、後に組織を脱退した。ドイツのジャーナリストのバスティアン・ベルブナーの著書『180度:憎悪に反対する物語』(未邦訳)には、ネオナチと左派のパンクが「親友」になり、難民を憎む人と難民が「後天的家族」になったエピソードが出てくる。彼らの友情のほとんどは大きな歓待ではなく、違和感や不便さを我慢して相手の話を聞くことから始まった。もちろん、人も世界もそんなに簡単には変わらず、「友人になる」ことの効果を過度に期待しては困る。明らかなのは、深い接触(deep contact)と豊富な感情的交流は、人間を変えることができるということだ。

 引き裂かれた共同体は癒されることができ、より良い社会は可能だ。このために私たちは、権力者にこれまでよりはるかに残酷になる必要があり、仲間の市民には、これまでよりはるかに寛大にならなければならない。歴史を省みると、敵対的集団との衝突は、時には身震いするほどのおぞましい虐殺(ジェノサイド)につながった。部族主義が極端になるとき、人間という種は底が見え、最も醜悪な存在になる。敵対の圧力を弱めることが急がれる理由だ。

//ハンギョレ新聞社

パク・クォニル|メディア社会学者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1186943.html韓国語原文入力:2025-03-14 14:51
訳M.S

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