「私たちにはあなたのことが見えています。あなたの声が聞こえています」
偶然ユーチューブの生中継を目にしたが、ちょうど彼女が発言する番だった。先週4日間、米シカゴのユナイテッドセンターで開かれた米民主党大会の初日、ゴールデンタイムの舞台に上がったある若い女性が、自分の経験とともにこう語った。思わず胸が熱くなった。韓国の大統領を選ぶわけでもないのに、大袈裟だと言われるかもしれないが、国や理念の問題を離れ、政治が存在する理由を思い出させてくれた場面だった。
ケンタッキー州出身の大学生ハドリー・デュバルさんは、5歳の時から養父からの継続的な性犯罪にさらされてきた。12歳の時に妊娠した。当時加害者から「君にはオプションがある」と言われたという。2022年6月、ドナルド・トランプ前大統領が任命した保守的な連邦最高裁判事らによって、女性の人工妊娠中絶の権利を認めたロー対ウェイド判決が覆されて以来、米国の多くの女性にはそのようなオプションさえない。
デュバルさんは連邦最高裁の判断が出た翌日、10年間母親にも隠していた妊娠の話をフェイスブックに投稿した。「トランプは(人口妊娠中絶の禁止は)美しいことだと言います。子どもが自分の父親の子を妊娠することのどこが美しいんですか」。4日間ずっと興奮と歓声に包まれた党大会だったが、彼女が発言する時だけは2万人余りの参加者が息を殺して聞き入っていた。
トランプの楽勝で終わるとみられていた米大統領選挙は最近、ジェットコースターに乗った。カマラ・ハリス副大統領が民主党候補に名乗り出たことで、特に女性と若年層の結集が目立ったおかげだ。その背景の一つは、女性の性と生殖に関する権利(reproductive rights)をめぐりこの2年間に繰り広げられた激しい「戦い」だ。連邦最高裁判所の判決後、中絶禁止を強化した州が増えたが、州議会や州政府レベルでこれを阻止する法案を可決するところも増えた。逆風を懸念したトランプ側は各州の決定に任せる方針を示したが、トランプが返り咲いた場合、国家レベルの中絶禁止と処罰規定が導入されるという恐怖が米国で広がっている。今月ワシントン・ポスト、ABCニュース、イプソスが行った共同調査で、米国人の4分の1は中絶権が投票を決めるのに最も重要な要因だと答えた。経済、国境問題、健康保険に次いで4番目に多い。
一方、韓国はどうか。2019年刑法のいわゆる「堕胎罪」条項に対して憲法裁判所が憲法不合致判断を下し、法的に中絶は犯罪ではなくなった。しかし、憲法裁が堕胎罪の準備期限と定めた2020年末をはるかに超えて3年半がたっても議論は放置され、女性たちはどこでどのような支援を受けられるのか分からず、今この瞬間も解決策を自ら探し求めなければならない。安全性が世界的に立証された経口中絶薬も、食品医薬品安全処の壁を越えることができず、輸入にブレーキがかかった。
妊娠36週目の女性が人工中絶手術のVlog動画をユーチューブに投稿したのは、筆者にも大きな衝撃だった。保健福祉部はその女性と手術を行った医療スタッフを殺人罪の疑いで警察に捜査依頼した。しかし、処罰で終わらせるべき問題なのだろうか。処罰問題をめぐる議論とは別に、政府であれ国会であれ、大騒ぎになって代案の模索に乗り出すべきではないだろうか。政府と政界の沈黙は奇異に感じられる。社会的合意を引き出すことが容易ではないというのは、職務遺棄に対する言い訳に過ぎない。
「女性」は政治の主要議題から押し出されている。尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権が対立を煽り立てて、立ち往生した女性家族部の廃止問題と無関係ではないだろう。総選挙後にあった巨大両党の党代表と最高委員の選出過程で、女性問題の懸案を提起する候補は見当たらなかった。
ハリスは候補は指名受諾演説で「ガラスの天井」のような単語は一度も使わなかった。2016年、ヒラリー・クリントンが「天井を取り払えば、空があるのみ」だとし、初の女性米大統領の意味を強調したのとは対照を成している。海外メディアは「エリート女性」のイメージが強かったクリントンの二の舞にならないため、ハリスが女性や非白人のアイデンティティより検事や仲裁者としてのリーダーシップを示す戦略を駆使していると分析する。賢い戦略だが、女性に対する壁がいまだに高いということを物語っているとも言えるだろう。約70日後の米大統領選挙の結果もまだ分からない。しかし、少なくとも政治が世界の半数を占めている女性の苦痛と権利に耳を傾けるべきであり、また耳を傾けられることをシカゴ党大会は示した。
ハリスは女性の性と生殖に関する権利を制限しようとするトランプとJ・D・バンス共和党副大統領候補を女性嫌悪論者や性差別主義者と攻撃する代わりに、彼らを「わけの分からない人たち」だと呼んだ。この問題を対立の問題ではなく、常識と非常識の構図にしてしまったのだ。そうしながら言い放った。「彼らは女性を信頼しないが、私たちは女性を信頼する」。なんと力強い一言だろう。