海兵隊C上等兵殉職事件(海兵隊員事件)の捜査結果に対して、尹錫悦大統領が激しく怒りをあらわにしたという、いわゆる「VIP激怒説」が懸案となっている。私は国防部の担当記者なので、周囲からよく聞かれる。今年初めまでは「激怒説」は本当なのかうそなのかと聞かれた。近ごろは「なぜ大統領は激怒したのか」と聞かれる。人々の関心が「激怒説」の真偽から、今や尹大統領の「激怒」を既成事実とみなし、なぜ怒ったのかに移りつつあると感じる。
なぜ人々は「激怒説」は蓋然性が高いと考えるのだろうか。これまでに分かっている尹大統領の言行と一致するからだ。尹大統領は「このようなことで師団長が処罰されたら、誰が師団長をやるのか」と言ったという。これは、梨泰院(イテウォン)惨事後の2022年11月7日の国家安全システム点検会議での尹大統領の発言と類似する論理だ。あの時、彼は「厳然たる責任というのは、それがある人に問うべきであって、ただ漠然とすべて責任を取れというのは現代社会ではありえない話だ」と述べた。尹大統領は梨泰院惨事の際、捜査を通じて違法行為があったかを明らかにし、責任はそれによってのみ問うことができるとの判断を前面に掲げ、「法的責任」ばかりを強調した。海兵隊員事件の際にも尹大統領は似たような反応を示したことだろうという合理的な疑いこそ、「激怒説」が広がった背景だと私は考える。
軍の指揮官の法的責任は、指揮官の故意または過失が原因で事故や被害が発生した時に認められるものだ。いくら検察総長を務めた捜査の専門家である尹大統領であっても、海兵隊員事件の捜査記録を直接検討できない状態で、海兵隊員事件で当時の海兵隊第1師団長に法的責任があるかどうかを判断することはできない。昨年7月、大統領室は海兵隊員事件の捜査報告書を入手しようと複数回試みたが失敗した。受け取ったのは8ページのメディアブリーフィング資料だけだった。
法的責任ばかりを強調した「激怒説」が知られると、軍の内外からは「指揮責任という軍の特性も考えるべき」だという反応が示された。海兵隊員事件は、法的責任だけでなく指揮責任も絡んでいる。指揮責任とは、自身の指揮の下にある部下に対する指揮・監督に関して取る責任だ。軍の指揮官の権限は包括的で強いため、軍内部では指揮責任は無限責任だとする慣行がある。指揮官が部隊内の事件や事故に対して無限責任を負うがために、指揮官が責任の追及や昇進からの脱落を懸念して事件や事故の真相を隠ぺいするという副作用まで生じるほどだ。
多くの人が疑うとおりに「激怒説」が正しいのなら、大統領はなぜ怒ったのだろうか。
まず「検察至上主義者」である尹大統領は、検事時代に形成された、警察を見下す固定観念が作用した、という推定がある。軍の高官を務めたある人物は、「尹大統領は、パク・チョンフン大佐が率いた軍事警察である海兵隊捜査団の捜査結果が信頼できなかったのだろう。『激怒説』は、師団長にまで容疑をかけた海兵隊捜査団の捜査結果について、軍事警察も結局は警察だと考えて見下す大統領の偏見が下敷きになっていると思う」と述べた。
次に、尹大統領の周囲の人物が海兵隊員事件について何らかの話をしたため、尹大統領がこの事件に先入観を持っていたという推定だ。市中では「激怒説」に関連するどの人物がどんな役割を果たし、誰と誰がどのようにつながって結局は尹大統領の判断に影響を及ぼした、などのうわさが飛び交っている。
私は、このようなうわさが国軍の統帥権者である大統領の権威と信頼に悪影響を及ぼすのではないかと懸念する。大統領は国軍将兵50万人の統帥権者だ。有事の際には戦争に勝利するために、大統領の合法的な命令であれば、たとえその道が死に至る道であっても、軍人たちは従わなければならない。軍に大統領の命令が通らなければ安保危機だ。特検法案を受け入れるか、尹大統領が自ら「激怒説」問題に早急に決着をつけるか、決断を下さなければならない。
クォン・ヒョクチョル|統一外交チーム長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )