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[寄稿]韓国では民主主義が空気のように日常化してるって?

登録:2024-05-23 01:42 修正:2024-05-23 08:57
いまだに民主主義が遠い国の話のように聞こえることは多くあり、労働組合をやっているというだけで受ける弾圧は大韓民国社会の至る所に数え切れないほど散らばっている。素朴な労働組合活動でさえ血の涙を流し茨の道を歩まなければならない労働者たちにほぼ毎日会い、申し訳なく思うのが、私の日常だ。 
 
ハ・ジョンガン|聖公会大学労働アカデミー主任教授
筆者のハ・ジョンガンがホン・セファ先生の葬儀で芳名録に記帳している=ハ・ジョンガン提供//ハンギョレ新聞社

 地方に行く電車の隣の席に、すらりとした印象の男が座っていた。彼は私のノートパソコンの画面に表示されている教育資料をちらりと見て、「もしかしてハ・ジョンガン教授ですか」と聞いてくる。彼は、ずいぶん前にパイロット労組の活動をしていた時に会ったことがあると言って、大変喜んだ。「軍隊生活で洗脳された考え方が、労組活動の中で教育を何度か受けたら、あっという間に変わったんです」と言った。話を聞いてみると、あいさつ代わりにお世辞を言っているわけではなかった。

 久しぶりに会った者同士がよくし合うあいさつを一言二言交わした。コロナ禍のまっただなかに休職状態が長引いて苦労した話もした。「ここ数年、宅配の荷の積み降ろしだとか土木作業だとか、あらゆる仕事をやりました。家族が食べて行かなきゃなりませんからね・・・。パイロットが飛行機に乗れないものだから、何の役にも立たないんですよ。パイロットほど他の分野で無能な職業もないんだな、そんな風に感じました」。そう言いながら、ふと声を詰まらせた。

 航空需要が再び急増し、航空会社はパイロットの大半を復帰させたが、まだパイロット労組の幹部を復帰させていない航空会社もあるという。「労組の委員長の○○先輩、ご存知ですよね? 私たちパイロットのために本当に苦労された方ですが、まだ会社は復帰させていません」。聞いていた私は何と答えたらよいか分からなかった。

 パイロット労組の幹部がそれほどの不利益を被るのだから、他の職種は言うまでもない。民主労総所属の多くの労働組合では、大企業の正社員だとしても、労働組合の幹部を務めるということは、定年退職するまで昇進をあきらめるということと同じであるケースが多い。非正規労働者は言うまでもない。だから先日、ある保守メディアが全泰壱(チョン・テイル)財団との共同企画として連載している記事で、「(全泰壱財団は)全泰壱の精神が時代の変化に合うように拡張されるべきだと述べた」としつつ、「青年全泰壱を『焼身』や『闘士』という単語と共に呼んだ時期は民主化前であり、労働組合をやっているというだけで弾圧された時代だった。だが今、民主主義は空気のように日常化しており、労働組合を作って活動する権利も保障されているということだ」と主張する記事の内容は、事実誤認か意図的な歪曲である可能性が高い。いまだに民主主義が遠い国の話のように聞こえることは多くあり、労働組合をやっているというだけで受ける弾圧は、大韓民国社会の至る所に数え切れないほど散らばっている。そのことを知らないはずのない報道機関がそのような論調を展開するというのは、労働組合があたかも時代の変化について来られずに古いやり方の労働運動にとどまっているかのように非難することによって軟化させるための布石であろう。

 素朴な労働組合活動でさえ血の涙を流し茨の道を歩まなければならない労働者たちにほぼ毎日会い、申し訳なく思うのが、私の日常だ。ホン・セファ先生が活動家たちに接する時の気持ちもやはりそうだった。先生の葬儀の芳名録を見ると、先生の親友だったユ・ホンジュン教授の記した「さようなら、セファ!」というメッセージが目に入った。入口で案内係に「ハ・ジョンガン先生も一言お書きください」と勧められたので、私も勇気を出してその下に短く書いた。「『フランスでホン・セファのように生きるより、大韓民国でハ・ジョンガンのように生きることの方が難しい』。そのお言葉を胸に刻んで生きていきます。残していかれた世の中は私たちが何とかします」

 振り返ってみると、ホン・セファ先生との共著はかなりの数になる。上のメッセージは、かつて出版記念会で言われた言葉だが、実際には「フランスでホン・セファのように生きるより、大韓民国でハ・ジョンガンやチョン・テインのように生きることの方が難しい」と言われたのだった。だから、チョン・テインも参加した『なぜ80が20に支配されるのか』の出版記念会の席だったのだろう。

『なぜ80が20に支配されるのか』//ハンギョレ新聞社

 その頃、ある解雇労働者が映画『ラジオスター』のポスターをパロディーして作ってくれたポスターが話題になっていた。出版記念会が終わった後、そのポスターと同じように並んで写真を撮った。私を肩に乗せたチョン・テインは「首が折れるところだった」と冗談を言った。

「小さな本」創刊12周年、労働者闘争20周年に開かれた講座「小さな本スター」のポスターと同じように並んで写真を撮った=ハ・ジョンガン提供//ハンギョレ新聞社

 ホン・セファ先生にそう言われてから、私もやはり人々に会う度にそのように考えている。数日前、労働組合の幹部たちに会った時も「70、80年代にハ・ジョンガンのように生きるより、いま大韓民国で民主労組の幹部として生きることの方が難しいんですよ」と伝えたし、高校3年生たちに会った時も「70、80年代にハ・ジョンガンのように生きるより、いま大韓民国で高3として生きることの方が難しいんですよ」と語りかけた。それが、よく言われる「俺の時代にはな…」のような、私なりの語りかけ方だ。民主主義はまだ空気のように日常化してはいないし、労働組合を作って活動する権利は今も保障されていない。いまだ道は遠く、やるべきことは多い。

//ハンギョレ新聞社

ハ・ジョンガン|聖公会大学労働アカデミー主任教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1141503.html韓国語原文入力:2024-05-21 18:55
訳D.K

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