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[寄稿]セウォル号惨事10年、何を記憶するのか

登録:2024-04-06 07:53 修正:2024-04-09 10:50
チョン・チヒョン|KAIST教授、『セウォル号、改めて書いたあの日の記録』記録チーム
10年の風雨で黄色い旗も色あせた。だが、記憶、約束、責任の誓いは今も彭木港を守っている。3月19日午後、全羅南道珍道の彭木港付近に設置された追悼の旗が風ではためいている=キム・ボムギュ先任記者//ハンギョレ新聞社

 4月16日午前8時49分にセウォル号が左に何度傾いたのかは、どのようにして分かったのだろうか。その瞬間は、誰もセウォル号を外から見ていなかったというのにだ。貨物室にぶら下がっていた鎖が傾く様子が、近くの車のドライブレコーダーに録画されていた。セウォル号の船体調査委員会が映像を復元して鎖の角度を分析し、セウォル号の船体の傾きを推定した。客室階の売店内の壁掛け電話機のねじれたコードが傾いた角度は、社会的惨事特別調査委員会が分析して提示した。それによって私たちは、何時何分何秒にセウォル号がどれくらい傾いたのかをかなり詳しく知ることができた。

 3年間水中に沈んでいたのを捜しだして復元したドライブレコーダーの映像7本と、出港前後の監視カメラの映像に出てくる時計がすべて違っていたというのに、セウォル号であらゆる出来事が発生した正確な時間は、どのようにして分かったのだろうか。前日午後に仁川(インチョン)港で出港を待っていた貨物車の運転手が流していたKBSラジオの時報がドライブレコーダーに録音されているという事実を発見し、それを基準にすべての時計を合わせることができた。それによって私たちは、貨物がいつどのように片側に傾いたのか、海水はどのようにして船の中に入り始めたのかを、かなり詳しく知ることができた。2017年にセウォル号の船体を引き揚げたことによって可能になったことだ。

 セウォル号が大きく傾いた9時2分から、完全に転覆した後の10時35分まで、海上警察の文字通信ネットワーク「コスネット」に送られたメッセージは全部で1190件だった。そのうち770件が対話相手の入場と退場を知らせるメッセージや、「こんにちは『仁川状況室』です。『3009号艦』様を歓迎します」(9時33分)のような歓迎のメッセージ、「歓迎コメント消してください」(木浦(モクポ)状況室、9時58分)のようなチャットルーム設定の要請メッセージだった。実際には沈没現場に出動した海上警察の123号艇には、コスネットは設置されていなかった。9時48分に木浦海上警察が「123号艇のコスネットは使えない状況にある」と伝えたが、指揮部は123号艇に伝わらない指示を出し続けた。このように乗客救助とは何の関係もないメッセージが海上警察のチャットルームに数多くあったという事実は、2014年6月の光州(クァンジュ)地方検察庁の捜査報告書の添付資料に記されている。

 船長と船員が123号艇に逃げた9時45分にも「現在の位置で待機して、これ以上外に出ないようお願いします」という案内放送が流れたという事実は、乗客が撮影した携帯電話の動画を通じて把握できた。船体が約70度傾いた10時9分、外にはやく出てこいという父親に檀園高校の生徒だったシン・スンヒさんが送ったメッセージは、カカオトークのサーバーに残された。「救助されるよ必ず。今は1人動くとみんなが動くから絶対にだめ」

 このように多くの情報が得られたので、セウォル号惨事の真実は、これ以上出てくるものがないほど十分に明らかになったという話をしようとするのではない。家族の無念の死を納得させるほどの十分な真実というものはありえない。ただし、10年間の証言と陳述から、図面とグラフから、写真と映像から、その種類と形式を問わずにセウォル号の記録を作り集めて整理した人たちの努力のおかげで、私たちは、304人の死の理由を詳細に知ることができたことも事実だ。3回にわたるセウォル号調査委員会が、内外の事情によって毎回不十分な結果を出したにもかかわらず、少なからぬ真実の断片が10年かけて私たちの前に積み重ねられた。

 まだ分からないことが多いと感じながらも、私たちはセウォル号に関してかなり多くのことを知っている。この両極端な感情が、惨事から10年目を迎える私たちを苦しめる。今年も忘れないと念を押しながらも、何を記憶すべきか途方に暮れ、胸が苦しくなる。私たちの記憶は、個人的であると同時に集団的であり、抽象的であると同時に具体的でなければならない。10年前のあの日、304人の無念の死を前に涙を流した自らの感情を記憶するだけでなく、その死の理由を詳細に記憶するために努めなければならない。「何も明らかにならなかった」と習慣的に叫ぶかわりに、これまで明らかになった事実を胸に、あわせて何をするのかを深く考えなければならない。

「真実の力が出した『セウォル号、改めて書いたあの日の記録』記者会見」でKAIST科学技術政策大学院のチョン・チヒョン教授が発言している=チョン・ファンボン記者//ハンギョレ新聞社

 私たちは、生命と安全の責任を負う人たちが、自分の使命をつくすようにする基準となる真実や、新制度とシステムを作るうえで根拠となる真実、次世代が悲劇を繰り返さないように教育する材料となる真実を手に持っている。惨事のすべての真実ではないが、いずれも整理して活用しなければならない大切な真実だ。それらの本当の重さを知り、どこに進むのか深く考えることも、惨事10年に私たちがしなければならないことだ。

//ハンギョレ新聞社

チョン・チヒョン|KAIST教授、『セウォル号、改めて書いたあの日の記録』記録チーム (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1135371.html韓国語原文入力:2024-04-05 08:27
訳M.S

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