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[寄稿]戦争の時代、韓国の政治と運動は現実を読んでいるのか

登録:2023-11-14 01:40 修正:2023-11-14 10:39
シン・ジヌク|中央大学社会学科教授
パレスチナのガザ地区のジャバリヤ難民キャンプで、ある住民がイスラエルの空爆で廃墟となった建物の残骸の上に座っている/AP・聯合ニュース

 残酷な戦争だ。昨年2月のロシアのウクライナ侵攻からこれまでに50万人の死傷者と600万人の難民が発生している中、先月7日にはパレスチナのイスラム武装組織ハマスとイスラエルが戦争を開始し、わずか1カ月で1万人以上が死亡するという、中でも特に5千人以上の子どもたちが犠牲になるという悲劇が起きている。

 社会学者ジグムント・バウマンが述べたように、20世紀は自由主義の夢とは逆に戦争と虐殺の世紀だった。冷戦終結後も湾岸戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争などの大規模な戦争が、そしてボスニア、シリア、リビアなどでは内戦が相次いだ。しかし最近、米国の覇権に対する中国、ロシア、北朝鮮、アラブの挑戦の強まりに伴って、戦争の危険性は世界に拡大しつつある。韓国は戦争の時代にいかに向き合うのか。

 尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権は一貫して「軍事的現実」ばかりを掲げているが、そのようなアプローチは政策そのものと同じくらい、その下敷きとなっている視点が危険だ。現代国際政治史において軍事的現実主義は長い思想的伝統を誇るが、世界を単なる国同士の敵対関係とみる信念にとらわれ、平和と協力の可能性を封鎖するイデオロギーとしても作用してきた。軍事的現実主義とは、実は現実を軍事的に再編する軍事主義だ。

 もう一つの危険性は人間の存在しない地政学だ。国際関係を地理的観点から考察する地政学から「人間」が抜け落ちてしまえば、地政学は地図の上で駒を動かしながら国家間同盟と戦争を想像する支配者の科学となってしまう。朝中ロが手を組んでこちらを揺さぶれば、韓米日が手を組んであちらを絶滅するというような「力の論理」のことだ。その過程で倒れていく数多くの人間がこの語りから消し去られるが、このような視点が実際の政府の決定を構成する政策の言説となる時、悲劇的な誤った判断が下される。

 そのような軍事主義が、韓国社会に深く根を張る極右反共主義とイデオロギー的憎悪とつながれば、極めて危険になる。かつての軍事政権時代も、北朝鮮の脅威は虚構ではなく実際だった。問題は、そうした軍事的緊張を政権の利益とイデオロギー的統制に悪用する支配構造だった。最近の安保脅威論と「反国家勢力」に対する捜査は、その古い回路を密かに再稼動させている。

 一方、これまで和解と協力を追求してきた側も、変化した時代環境をきちんと把握し、それに対応する準備ができているかを振り返らなければならない。国同士の経済的相互依存、対話と信頼の構築を重視する自由主義的アプローチは依然として重要だが、戦争がまん延する今の現実を突破するパラダイムとしては限界も明らかになっている。フランシス・フクヤマが「歴史の終わりと『自由』の最終的勝利」を宣言したリベラルな時代ではもはやない。

 政治と運動のフレームが社会と共鳴するためには、人々が実際に目撃する現実を説明する枠組みとして信頼を得なければならない。国際政治だけでなく、国内政治と文化環境の多くが変化した今日、多数の共感を得られる路線と言説へと進化していかなければならない。

 進歩的市民社会の前に横たわるもう一つの課題は、抵抗的民族主義の自己省察だ。パレスチナ出身の知識人エドワード・サイードは、「イスラエルのユダヤ人は、自分たちが経験した苦しみをパレスチナ人にそっくりそのまま与えている」という逆説を指摘しつつ、抵抗的民族主義も「彼らと同じ鏡のイメージ」になり、「パレスチナのシオニズム」となり得ることを警告し、「民族と人種、国の境界を超える解放を語る」ことを訴えた(『ペンと剣』)。

 歴史も民族も人間の上にあるものではない。ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ、いずれの暴力が正当なのかという問いを拒否しなければならない。すべての人間の尊厳と自由、平等の観点を一貫して堅持しつつ、暴力に抗議し、平和のビジョンを要求しなければならない。朝鮮半島に対する私たちの視点もそうあるべきだ。

 暴力が暴力を、憎悪が憎悪を生んでいるこの悪業の時代に、私たちはいかにして、敵対的現実を直視しつつも、民主主義と人間性、平等と平和の価値を力なき理想主義にとどまらせることなく、時代の暴力に打ち勝つ力となせるのだろうか。微弱な私にはいまだ答えが見出せないから、共に答えを見つけようという切なる気持ちで問いを投げかける。

 「夢のせいだった」。作家のハン・ガンは夢の中で兵士たちに追われ、彼らの銃剣に胸を突かれた瞬間、息もできず震え、泣きながら目を覚ました話を書いている。「握りしめていた拳を広げながら、暗闇の中で繰り返しつぶやいた。夢だった、夢だった」(『少年が来る』)。

 ドイツのベルリンで私は、国家暴力をテーマに博士論文を書くために、毎日戦争と虐殺の資料を読んでいた。ある日、これとまったく同じ夢を見て夜明けに目を覚まし、身を包み込む恐怖を感じながら戦慄した。この恐怖が現代史だとは!

//ハンギョレ新聞社

シン・ジヌク|中央大学社会学科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1115996.html韓国語原文入力:2023-11-13 07:00
訳D.K

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