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[コラム]私たちはどのようにセウォル号10年を迎えるのか

登録:2023-04-20 04:24 修正:2023-04-20 08:49
4・16財団が1週間にわたって行ったオンラインキャンペーン「#記憶は力が強い」には3万7700人あまりが参加した。ある人は私のようにせいぜい映画を1本見ただけだろうし、ある人は偶然テレビで記憶式の生中継を見ただけかもしれない。それが出発だ。 
 
キム・ヨンヒ|編集人
16日午後、京畿道安山市檀園区の花郎遊園地で開催された「セウォル号惨事9周忌記憶式」で416合唱団と市民合唱団の304人の団員が公演を行っている=キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社

 16日にセウォル号惨事家族劇団「黄色いリボン」の活動を記録したドキュメンタリー映画『タレントショー(特技自慢)』を見た。上映館も上映回数も多くないため、日程を合わせたら偶然「その日」になった。映画館がすいていたら寂しい思いをするのではと思ったが、客席は半分以上埋まっていた。映画の中のセウォル号の母親たちは配役をめぐって嫉妬し、時には素敵に暮らしたいという欲望を隠さない。「被害者らしさ」に閉じ込められていない彼らの日常に、私を含む観客たちは泣き、笑った。いつのまにか舞台経験が300回を超えたベテラン劇団の団員たち。彼らは社会に語りかけ続けていた。

 「9周忌」がとりわけ重く感じられた今年。「セウォル号疲労症」という言葉が出回った時、それでもセウォル号から10年くらいたてば少しは変わるのではないかと考えたこともある。そのくらいたてば対立や嫌悪も過去のものとなり、安全な社会についての国家的合意がある程度は確立されるだろう、という漠然とした期待を持ったのだ。だが、10という数字が現実のものとして迫ってきた。先日電話で話したユミンさんの父親のキム・ヨンオさんは「光化門(クァンファムン)広場で真相究明を求めて断食していた時、もしかしたらとても長くかかるのではないかと思ったが、それが現実になったんだなと思う」と話していた。地元でエアコン設置技師として働く彼は、まだ自分に向けられた嫌悪と情報機関による査察の苦しみから抜け出せていないようだった。「他のSNSとは違ってイルベ(日刊ベストストアの略。右翼指向の匿名ネット掲示板サイト)のような人はいないように見えるので」、ようやくインスタグラムを始めたと言っていた。

 昨年の大統領当選後、就任前に「セウォル号犠牲者に対する最大の心からの追悼は、大韓民国を安全にすること」と言っていた尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は、今年は沈黙している。キム・ゴンヒ女史の「黄色いスカーフ」のようなものもなかった。大統領室は、特にメッセージはないのかと問われ、世宗(セジョン)、安山(アンサン)、仁川(インチョン)などの行事に首相らが参加したと述べつつ、「十分に我々政府の立場を伝えたと思う」と答えた。反省と謝罪なしに「歴代内閣の立場を全体として引き継ぐ」と述べた日本政府風の発言でも学んだのだろうか。教育部は、安山で午後3時に開催された記憶式に社会副首相兼教育部長官が2017年以降で初めて参加しなかったことについて、「交通条件などが不確実だったため、長官と次官が役割を分けた」と説明した。最近、全国の市道教育庁に送った安全週間についての公文書から「セウォル号惨事追悼」の表現が消えたことや、副首相が特に追悼の辞を発表しなかったことも「特別な意図はない」と語った。苦しい言い訳だ。

 政権レベルで意思一致したかのような沈黙と不在、言い訳の裏には梨泰院(イテウォン)惨事があることを知らないわけではない。ソウル市は光化門広場の工事でソウル市議会前に移された「セウォル号記憶空間」が追い出されるのを傍観し、梨泰院惨事合同焼香所には2900万ウォン(約293万円)の弁償金を科した。先日の「ニュース打破」の報道によれば、セウォル号後に構築された災害安全通信網のサーバー容量が足りないとの理由で、行政安全部は梨泰院惨事当時の交信内容をすべて削除した。セウォル号と梨泰院の距離はさほど遠くない。

 追悼館の形態や場所は協議しうる事案だ。個人的には、社会的惨事特別調査委員会(社惨委)調査局がセウォル号の原因について、専門家たちの支持する内因説ではなく、潜水艦衝突説のような外力説の立証にしがみついてきたことを批判的に考えてきた。公務員の司法的処罰ばかりが争点になると、惨事についての社会的記憶はむしろ薄まるのではないかと懸念したりもした。ならばなおさら、社会的惨事の犠牲者を尊重する政府の認識と態度が重要だ。遺族を「駄々をこねる集団」だとか「不法占有者」だと考えているかのような政府とソウル市の態度に、人間的な屈辱を感じるのは私だけだろうか。安全な社会を作るために社会的惨事を記憶しようとする市民の「連帯」を消し去ってやるという、不純な意図さえ感じられる。

セウォル号惨事家族劇団「黄色いリボン」の活動を描いたドキュメンタリー映画「タレントショー」のワンシーン=映画社ジンジン提供//ハンギョレ新聞社

 先週のハンギョレ土曜版は、応急救助士になったセウォル号生存者のエジンさんのことを報じた。『タレントショー』には劇団「黄色いリボン」で活動中のエジンさんの母親のキム・スンドクさんも出演している。映画でキムさんは、犠牲者の遺族たちが手を差し伸べてくれてありがたかったと語るが、スインさんの母親のキム・ミョンイムさんは、キムさんのおかげでこの世と断絶していないと感じられたと言って感謝した。そこまででなくてもよい。4・16財団が1週間にわたって行ったオンラインキャンペーン「#記憶は力が強い」には3万7700人あまりが参加した。ある人は私のようにせいぜい映画を1本見ただけだろうし、ある人は偶然テレビで記憶式の生中継を見ただけかもしれない。それが出発だ。

 1989年に97人のサッカーファンが圧死した英国ヒルズボロの悲劇は、20年以上たってようやく独立的な調査が行われた。法的処罰は1人にとどまったものの、長年にわたって積もりに積もった構造的な問題があらわになった。調査結果を聞いた犠牲者の遺族たちは立ち上がって5分ほど拍手した。一方、昨年惨事から8年たってようやく社惨委の「白書」が発表されたが、その波紋が一部報道されただけで、評価や後続措置は皆無だというのが韓国の現在地だ。「誰が悪かったのか」にとどまらず、「どうしてこのようなことが起きたのか」についての社会的記憶を作らなければ、安全な社会も被害者のトラウマを癒やす共同体も実現は不可能だ。政府が沈黙し、消し去ろうとしているのなら、市民がセウォル号10年を語る時だ。

//ハンギョレ新聞社

キム・ヨンヒ|編集人 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1088535.html韓国語原文入力:2023-04-19 16:09
訳D.K

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