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[コラム]目覚めてみれば後進国5…尹大統領の「旬の過ぎた新自由主義」

登録:2023-02-24 03:07 修正:2023-02-24 09:03
パク・ヒョン|論説委員
尹錫悦大統領が21日、ソウル龍山の大統領室で国務会議を主宰している。尹大統領はこの日、建設現場での恐喝、暴力などの組織的違法行為を協力して厳しく取り締まるよう検察、警察、国土交通部、雇用労働部に指示した=大統領室提供//ハンギョレ新聞社

 尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は若い頃、米国の経済学者ミルトン・フリードマンの著書『選択の自由:自立社会への挑戦』を読んで深く感銘を受けたという。フリードマンは新自由主義経済学の巨頭で、減税や規緩和制などを推し進めた米国のレーガン大統領と英国のサッチャー首相の保守的な経済政策に大きな影響を及ぼした人物だ。

 同書は、政府の介入を弱め、市場の自由を拡大することを内容とする新自由主義の教理を10回にわたって放映したテレビシリーズをフリードマンがまとめて1980年に出版したものだ。尹大統領が検察総長として承認を受けるための2019年の聴聞会で、自らの価値観形成に最も大きな影響を及ぼした本としてあげてもいる。

 彼は2021年3月に検察総長を退任したが、退任後に私的な席で会ったある知人は、尹大統領が同書について多くの話をしていたことを覚えていた。大統領就任演説とその後の各種の演説で常に強調する「自由」は、訳もなく出てきたわけではないということが分かるエピソードだ。自由を強調するのは責めるべきことではない。ただ、それが国民生活に多大な影響を及ぼす政府の各種政策に反映されるとしたら、事情は異なる。果たして誰のための自由なのか、具体的に掘り下げるべき理由はここにある。

 現政権が昨年打ち出した減税と、このところ推し進めているいわゆる「労働改革」政策が代表的な例だ。両政策は『選択の自由』にも詳しく紹介されている。これらの政策が掲げる趣旨の通りに経済が活性化し、労働弱者の生活が改善されるなら、それに越したことはないだろう。しかし政策設計が誤っていれば、かえって大きな悪影響を招きうる。

 実際に、減税は主に大企業や資産家にその恩恵が回るように設計されている。減税は一定の条件下では投資を誘引するため経済活性化効果を生むが、今のように内外の経済環境に極度な不安がある時期には、投資の呼び水の役割を果たすことは難しい。大規模減税を断行したレーガン政権とブッシュ政権の時代の米国はもとより、李明博(イ・ミョンバク)政権でもそのような効果はあまり現れず、不平等が進む要因になった。

 物価高と高金利の余波で今年の景気低迷が火を見るよりも明らかな状況においては、財政余力を最大限に節約し、景気低迷の影響を真っ先に、最もひどく受けざるを得ない庶民層に対する支援を増やすことこそ正しい処方であるにもかかわらず、政府は昨年、金持ち減税を押し通した。大統領選挙の公約を履行して支持層に報いるという考えもあっただろう。しかし、誤った判断の被害が現れるのにそう長くはかからなかった。今年初めから暖房費や公共料金が高騰し、庶民層と零細事業者が悲鳴を上げているにもかかわらず、政府の対策は貧弱すぎる。財政が不足しているからだ。最近打ち出した民生対策では、銀行や通信会社など民間部門から絞り取らなければならなかった。保守的な経済新聞ですら過度な市場介入を懸念するほどだ。

 労働改革は事実上「反労組」政策と呼んでも差し支えないほどだ。このような強硬な「労組たたき」政策がなぜ登場したのか、正確に知る術はない。ただし、『選択の自由』が医師協会のような高所得の専門職の利益集団を例にあげて労組の性格を説明していることから推論することはできる。現実を極度に抽象化して思考する経済学者の属性上、高所得を上げる医師と日々の生計を心配しなければならない労働者の境遇の差は跡形もなく消え去り、単なる同じ利益集団としてのみ眺めているのだ。労組を「地代追求」集団とみなす尹大統領の認識もそこに根があるとみられる。大統領は、今度は建設労組に対して「組織暴力団(組暴)」になぞらえて「建暴」という用語まで用いつつ、厳しく取り締まることを宣言している。

 1980年代初めに「正義社会の実現」を国政目標に掲げて社会悪を一掃するとし、社会浄化運動を大々的に展開した全斗煥(チョン・ドゥファン)政権を想起させる。銃刀で政権を奪取した軍人たちが政権の正当性を得ようとして社会浄化運動を繰り広げたことと、その対象とやり方は異なるが、本質は似ている。崩壊しつつある国民生活を立て直す力量が限界に達した検察政権が、墜落する支持率を上げるためにやっているという側面が強いように思える。

 尹大統領が私利を得るためにこのような政策を展開しているとは決して思わない。ただ、その政策が今の現実に合わないのなら、どこに誤りがあるのか問わねばならない。『選択の自由』式の新自由主義的処方は、米国でもすでに古くなって久しい。1970年代のスタグフレーションによりケインズ的処方が限界を露呈したことを契機として、新自由主義は1980~90年代の西欧社会で勢力を伸ばした。

 しかし、全方位的な規制緩和の代価は高かった。金融の規制緩和で新種の金融技法という美名の下に融資が乱発され、不動産バブルを招いた。不動産バブルの崩壊は、密接に絡み合っている金融システムをも破壊した。その結果こそ、まさに2008年のグローバル金融危機だった。新自由主義モデルの限界が明らかになった一大事件だった。米国をはじめとする西欧社会は、これを機として金融規制の強化へとかじを切った。ところが、韓国では正反対の現象が起きた。2014年の朴槿恵(パク・クネ)政権の「借金して家を買え」政策が代表的な例だ。住宅担保融資は言うまでもなく、伝貰(チョンセ。契約時に貸主に高額の保証金を預ける代わりに月々の家賃は発生しない不動産賃貸方式)資金の融資も大幅に緩和し、投機勢力の「ギャップ投機」にエサを供給した。文在寅(ムン・ジェイン)政権もその制御に失敗した。今現れている伝貰詐欺被害の根はそこにある。

 最近、現政権は銀行寡占体制の解消を公言している。「銀行は公共財」だとする尹大統領の発言の趣旨は理解できる。しかし、銀行の欲望を制御するとしてイ・ボッキョン金融監督院長が述べたという「完全競争」の方式で行こうというのは、金融業の現実を知らなすぎる発想だ。銀行は経済システムが体だとすればまさに血液であり、リスクの規制が避けられない業種だ。

 銀行の市場支配的な地位の乱用や不公正な行為は、金融監督の強化によって解決しなければならない。それをせずに競争を促進するという大義名分の下で規制を大幅に緩和すれば、市場はさらに混乱するだろう。銀行寡占体制の改善は典型的な金融政策であり、金融委員会の所管事項だ。金融監督業務を担うイ院長が先頭に立つのは越権行為に近い。金融政策までもが検事出身者にもてあそばれるのではないかと懸念される。

 経済・社会・金融政策は国民の暮らしに直結する。一方では市場の自由を叫びながら、もう一方では政府が過度に、それも誤ったアプローチで市場に介入すれば、大きな災いを招く。検察出身者からなる政権中枢が推進しているからけん制する者も見あたらず、なおさら危険だ。

 尹大統領は15日の非常経済民生会議の冒頭発言で、次のように語っている。「政府の政策が科学ではなく理念とポピュリズムにもとづいていると国民が苦しむということを如実に示しています」。 この文の主語は記者たちには聞こえなかったという。尹大統領こそ、1980年代式の新自由主義理念から脱すべき時に来ている。

//ハンギョレ新聞社

パク・ヒョン|論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1080901.html韓国語原文入力:2023-02-23 12:14
訳D.K

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