どの社会でも戦争や災害のような全面的危機に直面すれば、個人より共同体により大きな価値を置くはずだ。コロナ・パンデミックという災害を体験している米国社会も例外ではない。ジョー・バイデン大統領の就任直前の世論調査で、65%の米国人が大規模な救済案を支持したが、就任直後に実施した調査では79%の米国人が追加の現金支援に政策の焦点を合わせるべきだと答えた。
このような国民感情の変化は政界を動かした。米国政府は昨年3月から今年4月までのわずか1年間に、5.1兆ドルを危機支援費用として支出した。この40年間、脱規制と小さな政府を指向してきた米国政府としてはきわめて異例な行動であり、米国例外主義(American exceptionalism)に照らしてみれば例外的な現象が広がっているということだ。
最近のバイデン政権の果敢な予算政策を見ると、「居眠りジョーの反撃」という表現が頭に浮かぶ。先の米大統領選挙でトランプはバイデンに対し「無気力で無能なジョーおじさん」というイメージを着せて、自身だけがパンデミックにともなう経済危機から米国を守れると強調した。しかし、政権に就いた後のバイデンは、以前の慎重な態度から脱し、「果敢で速やかに」社会政策予算を樹立した。また、上院予算委員長のバーニー・サンダース上院議員と呼吸を合わせてコロナ政局を主導している。
特に、8月に予算決議案の形で通過した「3.5兆メガ法案」(3.5 trillion mega bill)、あるいは「社会支出法案」は、1930年代の恐慌を克服したルーズベルト政権の「ニューディール」と、1960年代の福祉爆発を持たらしたジョンソン政権の「偉大な社会」の脈を引き継ぐ米国式進歩主義政策の精髄となる可能性がある。韓国ウォンに換算すれば4千兆ウォンにのぼる途方もない規模の社会政策予算は、主に傷病手当、低所得労働者の所得控除、児童税額控除、3~4歳児童の無償保育、勤労世帯の児童保育サービスなどに組まれている。今や1980年代初めのレーガン政権の新自由主義路線以後に市場により踏みつけられてきた国家が、コロナ危機とともに華麗に帰還したのだ。
米国政府のコロナ危機対応は、韓国にどのような示唆を与えるだろうか。第一は、危機局面での「国家の帰還」だ。今回のコロナ危機を体験して、バイデン政権は国家の責務を強化する進歩的路線を採択した。もちろんこうした傾向には、現金支援を含むソーシャル・セーフティネットの強化事業も重要だが、コロナ初期の米国政府の強力な「移動制限措置」やワクチン需給・接種過程に現れているように、個人の日常的な暮らしに対する国家の統制力が強化されたという点で目を引く。
第二は、危機克服のためには途方もない規模の支援を速やかに提供しなければならないということだ。ポール・クルーグマンをはじめ著名な経済学者、専門家、行政官僚のほとんどが、災害支援金が多いことで発生するリスクより、不足して発生するリスクが大きいと主張したことで、バイデン政府の拡大財政に力を与えている。先に述べた5.1兆ドル以外に、約200万の雇用を創り出すインフラ法案(1兆ドル、2021年8月)と3.5兆メガ社会支出法案を合わせれば、コロナ危機にともなう対応資金の規模は実に9.6兆ドルにのぼることになる。
第三は、富裕層増税を果敢に施行するということだ。最高所得税率を現行の37%から39.6%に引き上げ、特に年間100万ドル以上のキャピタル・ゲイン税率を現行の20%から39.6%に大幅上昇させた。大企業法人税の最高税率も現行の21%から28%に上方修正した。政府の負債を増やさない範囲で支出を増やす、財政的に責任感のある政府の面目を保ったのだ。
議会民主主義が成熟した国では、政界で政策を決めれば行政府はこれを忠実に執行する役割を果たす。米国の上・下院とホワイトハウスで決めた災害支援金に財務省が反対して縮小されたり延期されたという話は聞こえなかった。だが、韓国では第5次緊急災害支援金をめぐり、100%普遍支給しようという政府与党と、下位70%だけに選別支給しようという企画財政部間の軋轢があった。結局、迅速な執行が重要な緊急支援金が5カ月も遅れて上位88%という不明瞭な水準での妥協になった。代議民主主義の成熟のためには、政策決定をする政界とこれを執行する行政部署の間に明確な役割分担が成り立たなければならない。