本文に移動

[コラム]これが本当に独裁か

登録:2020-01-22 06:50 修正:2020-01-22 09:22
文在寅大統領とユン・ソクヨル検察総長が去年11月8日、大統領府で開かれた反腐敗政策協議会で挨拶をしている=大統領府写真記者団//ハンギョレ新聞社

 「独裁」という表現が目に付くたびに少し不快になった。「独裁だとは。今までそれをやめようというものだったのに…」。自嘲混じりのため息が出た。政府を批判する隠喩的表現程度だと思った。ところが、いつからか独裁、全体主義、社会主義、動物農場などの険しい言葉が保守メディアにあふれた。

 本当に独裁なのか?反独裁民主化闘争の伝統に立っている現政権勢力が独裁なら、その根っこが抜かれるようなものだ。合法的独裁、ヒトラー式全体主義、ベネズエラ式左派独裁だというが、本当にそうなのか。国民が本当に犬豚の扱いを受けているのか。

 先日、「社会正義を望む全国教授の会」は声明で、現政権が「類似全体主義」を企てていると述べた。高位公職者犯罪捜査処(公捜処)、連動型選挙法、検察捜査無力化、司法府掌握などはそのための「偽りと術策」ということだ。

 政権の主要行為を独裁へと追い込む「独裁フレーム」だ。国政の誤りを叱るのと独裁だと攻撃するのは全く違う。荒唐無稽な陰謀論に近い。

 言論の自由がこのように保障された国が独裁であることはあり得ない。地上波放送を掌握して独裁をしているというが、地上波放送の変化は昔からの内在的要因によるものだ。権力に従って地上波放送の風向きが変わる放送構造が問題といえば問題だ。

 裁判所の要職を気の合う人々に取り替えたというが、政権を握っておいて意向の違う人々だけで人事をするわけにはいかない。李明博(イ・ミョンバク)・朴槿恵(パク・クネ)政権の司法府掌握の黒歴史は皆が知っていることだ。トランプは連邦裁判所の判事数百人を保守派に取り替えた。もちろん人事はバランスが重要だ。しかし、大統領制の下では大統領が司法権力の配分で一定程度の主導権を持たざるを得ない。

 公捜処と連動型比例制は民主党政権の宿願だった。独裁をしようというのではなく、検察改革・政治改革を行おうとずいぶん前から公約していたことだ。制度の観点の問題提起であるなら分からなくもないが、独裁に進む飛び石というのは言い過ぎだ。

 ベネズエラのチャベスとよく比べるが、貧困層の支持を基盤とした反米ポピュリズム政権と現政権を同一線上に置くのは自らを卑下するようなものだ。「30-50クラブ」(1人当たりの国民所得3万ドル以上、人口5000万人以上の国家)に入った国、韓米同盟により安保・経済同盟の安全弁を備えた国、民主主義の伝統が確固な国を、ベネズエラと比べることはない。

 あえて言うとすれば、私たちには右派独裁があっただけだ。解放以後数十年間、独裁を振り回したのは李承晩(イ・スンマン)・朴正煕(パク・チョンヒ)・全斗換(チョン・ドゥファン)の極右だった。守旧保守の根は相変わらず強固だ。進歩が政権を担ったのはやっと13年に過ぎない。ここまでくると、独裁だと軽はずみに言うのは左派政権が続くことに対する恐れの表現だといえる。

 全体主義問題はもう少し丹念に見なければならない。裁判所・検察・議会などがビッグブラザーにより統制される全体主義に進んでいるという論理は、私たちの社会の健康性を侮っているのだ。

 ただし、「私たちが正義で私たちだけが善良な勢力」という「独善」は警戒しなければならない。意見が違うとむやみに攻撃して排除しては困る。メディアと知識人がコメント批判を恐れて自己検閲して萎縮しているとすれば問題だ。チン・ジュングォン流の毒舌はそんな弊害に対する過度な反作用だ。

 チョ・グクに代表される「ネロナムブル=自分がやればロマンスだが、他者がやるのは不倫」(自分は棚にあげて他人を非難すること例え)は痛い部分だ。叩いて埃を出すような検察捜査の問題点は深刻だが、チョ・グクも言動が一致しないところがあった。進歩派の「独善」と「ネロナムブル」を批判することはできるが、全体主義に結びつくことではない。

 陣営論理を乗り越えようと言いながら、堂々とこれを繰り返す事例も多い。「ファクトで勝負しよう」と言っておきながら一方の陣営の問題点だけを大量に並べるのは、巧みな陣営論理だ。難しいことだが、こちら側とあちら側の誤りを万遍なく調べなければならない。

 「文在寅は独裁で、ユン・ソクヨルは正義」という形式、またはその反対は真実からかけ離れている。チョ・グクも、ユン・ソクヨルも、文在寅も完全でない。チョ・グクは「ろうそく革命」に献身したが、行なったことは不十分だった。ユン・ソクヨルは生きている権力に立ち向かい成果を上げたというが、チョ・グクを捜査したように一貫して標的捜査・別件捜査をしたのではないかという懐疑の念が起こる。ユン・ソクヨルとチョ・グクを任命した文在寅大統領の「判断ミス」もまた痛いところだ。

 概して、一方がすべて正しく他方がすべて間違っている場合はほとんどない。だからといっていつもグレーゾーンに留まってはいられない。正しいと考えられる方向へと最善を尽くしつつ、常に後ろを振り返り自省して評価しなければならない。

 現政権が名実共に「ろうそく政府」だとは言えないかもしれないが、それでも独裁や全体主義ではない。

//ハンギョレ新聞社

ペク・ギチョル論説委員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/925275.html韓国語原文入力:2020-01-22 02:39
訳M.S