“偽ニュース”に助けられたドナルド・トランプ米大統領が、主流メディアを“偽ニュース”と非難することに力を注いでいる。大統領選挙の候補者争いで途中下車した潘基文(パン・ギムン)前国連事務総長は、自分の「純粋な志」が打ち砕かれた原因を“偽ニュース”のせいにした。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)などで拡散されている出所不明の怪談や「すべてのマスコミはねつ造」だと主張する極右団体の宣伝物なども“偽ニュース”と呼ばれる。“偽ニュース”の最盛期だ。
専門家らは“偽ニュース”の歴史がメディアの歴史に匹敵するほど長いと言う。8世紀半ばのローマ時代、教皇の勅令をねつ造した「コンスタンティヌスの寄進状」事件を“偽ニュース”の歴史的な例に挙げる人もいる。印刷技術の発展に伴い胎動した初期の新聞は、一種の政治“パンフレット”で、何のためらいもなく偽りの事実まで動員して政敵を非難して攻撃するものだった。近代新聞は刺激的な話を取り上げて大衆から購読料を取る産業を生み出した。1835年、「月を観測してみたら、人間と似た居住民が住んでいた」という話を6回にわたり連載し、米国を揺るがした「ニューヨーク・サン」紙の“月の世界報道”が代表事例である。マスコミの全盛期だった20世紀には専門性を掲げて、政治的・商業的利益を追求するマスコミに批判が集中した。誰でもニュースを生産し拡散できるデジタル時代には、誰もが偽りを作り出して広められるようになった。
ジャーナリズムは、このように卑しい“黒歴史”の中で、現実と理想の間のギャップを埋めるための絶え間ない実践を動力として発展してきた、非常に慎ましい概念だ。「事実確認を通じて真実を追求する」という厳正なジャーナリズムの原則に「忠実だった」と豪語できるニュースは果していかほどだろうか。その点からすると、「私たちが本物で、あなたは偽物」という意味が込められた“偽ニュース”という傲慢な規定そのものが、とても不快に思える。誤報、詐欺、嘘や脅迫など、具体的な問題を示すのにより適した表現は多い。